被爆地・広島「心の復興」スポーツが支えに 野球、サッカー、バスケ…愛される理由とは
バスケットボールBリーグで今季、広島ドラゴンフライズが次々と格上チームを破り「下克上」による優勝を果たした。 首都圏や近畿地方に比べて人口規模に恵まれているわけではないが、中国地方で最大都市の広島市には野球のカープやサッカーのサンフレッチェを代表にスポーツ文化が根付いている。 背景には戦前の「軍都」時代に進められた体育振興や、原爆投下後の焼け野原で市民の「心の復興」を支えた歴史がありそうだ。(共同通信=小林ひな乃) ▽競技の垣根を越えた盛り上がり 「優勝おめでとう」「次はカープも」 Bリーグを制したドラゴンフライズは6月、市内にあるカープの本拠地マツダスタジアムでファンに優勝を報告した。サンフレッチェやカープのユニホームを着たファンの姿もみられ、会場は拍手と「広島」コールで包まれた。 5月の決勝戦では、2月に完成した広島市のサンフレッチェの新スタジアムでパブリックビューイングが行われ、想定を超える約7700人が声援を送った。
競技の垣根を越え、広島がスポーツで盛り上がる象徴的な場面となった。 ▽国の調査で「観戦率」3回連続1位 総務省が5年に1回実施する社会生活基本調査によると、広島県民が1年に1回以上、実際に競技場でスポーツを見た「観戦率」は2011年以降、3回連続で全国1位となっている。 一年を通じて温暖な気候に恵まれる広島県は人口約270万人。広島市を含む県内では休日や仕事終わりのスポーツ観戦が定着している。 ▽軍と被爆の歴史からアイデンティティーに 明治期には各地に軍事拠点が置かれ、富国強兵策の下、体育振興のため師範学校などに県内から数多くの選手や指導者が集められた。 1928年のアムステルダム五輪で日本初の金メダリストとなった三段跳びの故織田幹男さんも広島県の出身だ。 広島市は原爆投下で廃虚となり、多くの市民が住まいや家族をなくす被害を受けた。県は心の復興を促すとしてスポーツを奨励し、米軍も市民の不良化対策に利用した一面もある。
1950年1月に開かれた結成式で創設した市民球団「広島カープ」は復興の象徴となった。 地域文化を調査研究、継承する広島民俗学会の岡崎環会長は「広島のスポーツは県内各地にあった軍施設の関係者や師範学校の卒業生を中心に広がった。戦後は幅広い世代の県民に親しまれ、広島のアイデンティティーの一つになったのではないか」と分析した。