五輪サッカーで最も期待されなかったリオ世代 アジア予選も「弱者の戦い」に徹して突破した
【短期連載】五輪サッカープレイバック第3回/2016年リオデジャネイロオリンピック 【画像】元サッカー日本代表が選んだ「嫌だったFWランキング」 パリ五輪開幕までまもなく――という状況を受けて、五輪サッカーの歴史を少し振り返ってみたい。ここでは、直近4大会における選手選考や成績、さらにはその後の選手の活躍などを顧みつつ、当時の時代背景や、現在との違いなどに迫ってみたいと思う。第3回は、2016年リオデジャネイロ五輪だ――。 ロンドン五輪ではベスト4進出を果たし、3位決定戦には敗れたものの、メダル獲得まであと一歩まで迫った。次こそは、と期待されながらグループリーグ敗退に終わったのが、2016年リオデジャネイロ五輪である。 手が届くところまで近づいたはずのメダルが、再び遠のいた大会と言ってもいいかもしれない。 ただし、当時のU-23日本代表に、そもそも現実的なメダルの期待があったかと言えば、そうではなかっただろう。それどころか、過去の五輪世代を振り返ってみても、最も評価が低かった世代と言ってもいいかもしれない。 先のパリ五輪アジア最終予選(U23アジアカップ)も、かなり本大会出場を危ぶむ声が聞かれてはいたが、あくまでも個人的な印象で言えば、リオ五輪当時の危機感はパリ五輪の比ではなかったはずだ。 というのも、五輪を目指すU-23代表とは、大まかに言うと2世代のU-20代表が融合して構成されるのだが、リオ世代の場合、対象となる2世代のU-20代表が2013、2015年U-20ワールドカップと、いずれも出場を逃していたからだ(アジア最終予選を兼ねたアジアU-19選手権で準々決勝敗退)。 しかも、手倉森誠監督が就任してリオ五輪を目指すチームが立ち上げられて以降も、2014年アジアU-22選手権(現U23アジアカップ)、2014年アジア大会と、どちらも準々決勝敗退。とにかくこの世代は、アジアでベスト8の壁を越えた経験がなかったのである。 南野拓実や植田直通など、2011年U-17ワールドカップを経験している選手こそいたものの、U-20ワールドカップ経験者はゼロ。世代全体で言えば、国際経験豊富とは言えなかった。 にもかかわらず、リオ五輪出場のためには、アジア最終予選を兼ねたアジアU-23選手権(現U23アジアカップ)で3位以内に入れなければならない。アジアで一度もベスト4に進んだ経験のない世代にとって、そのハードルは極めて高いものと思われた。 結果的に日本はこの大会で優勝し、リオ五輪出場を果たすのだが、MVPに選ばれた中島翔哉は当時、「ここまで勝ち上がったのは運もあって、そういうのがかみ合った感じだった。自分たちの実力は(アジアで)上のほうじゃないと思う」と話していたが、その言葉は戦前の評価が妥当なものだったことを裏づける。