人生は正しい正しくないの二択ではない。なぜ星占い的な言葉は人を惹きつけるのか?
「占い」と「呪い」の間で翻弄されて
正解のない人生で不安を抱えている私たちにとって、タロットは「視点を増やし、さまざまなパースペクティブから見て、自分の人生観のなかに生物多様性ならぬ生き方の多様性を確保していく」ものであると。私の人生は私のものであり、多様な視点で私の物語を紡ぐために占いがあるのではないか、と少しずつ思うようになった。 鏡さんがきっかけで知った石井さんの占いは、私が期待する占いそのものだった。「今日のラッキフードはあんまんです」「ラッキカラーは黒です」と断定する星占いのテンプレとは違う、哲学的な語りと余白に想像がふくらみ、星にも、私たちの人生にも、物語があることを教えてくれる。「ステレオタイプに押し込まれそうになる事物を、象徴の仕組みを使って解体し、ふくらませ、再構築するための道具」(『星占い的思考』より)として星占いを理解し、文学を頼りにしているからなのだろう。 最近では「スピリチュアル」と隔てることなく、周囲の友人も気兼ねなく占いに行き、上手に付き合っている人が増えてきたように思う。竹田ダニエルさんも『世界と私のA to Z』第7章で、「Z世代の間で『スピリチュアリティ』の革命が起きている」と書かれていた。「自分で知識を得て、自分で選択する」ことがあたり前の世代だからこそ、「本当の自分を探求する」手段として占いのことばを親しむ傾向は、少しずつ広まっているのかもしれない。 最終章には「『占い』と『呪い』のあいだ」という書き下ろしが掲載されている。 占いは呪いの物語を描き出す。この物語に、人間の心は巻き込まれていく。一度巻き込まれてしまうと、他の人生のさまざまな問題にも当てはめられていく(本文より) まさに、私は占いと呪いのあいだで翻弄されてきた。占いをインチキだという人の感覚がわかるし、「私の人生は私が決める」と運命の手綱を自分の手で握っている人のたくましさに憧れもするし、石井さん自身も葛藤の片鱗を最終章に書き溜めたという。だけれど、物語のように想像の余地がある石井さんの星占い的なことばは、運命の可能性を押し広げながら、目まぐるしく変化する毎日の頼りになると感じている。 それは、彼女自身も物語を頼りに、占いに祈りを込めているからだろうか。ファクトを盾に正義を振りかざして、相手を断罪する風潮がインターネットを中心に巻き起こっている恐怖を前に、人生は「正しい/正しくない」の二択ではないと言いたい。私の物語を生きる、そのために目の前の物事を解体して、ふくらませて、再構築するためのことばがここにある。 (文/羽佐田 瑶子)
羽佐田 瑶子(ライター)