明るく軽やかに社会課題に触れる。『笑える革命』小国士朗が考える企画の力
プロジェクトが始まって3年余りがたち、今では全国160を超える施設で、延べ6,000人ほどのサポーターが生まれたほか、参加した高齢者だけでなくさまざまな人たちに変化が生まれました。 たとえば、以前は足を動かせなかった方が、カターレ富山の選手が訪問してくれた際に杖を忘れて駆け寄ったり、世界的なスーパースターである元ヴィッセル神戸のイニエスタ選手を応援していた86歳の認知症の状態にあるばあちゃんが、イニエスタを応援したいという一心でスペイン語を覚え始めたり。このプロジェクトに触れた社員の中には「この取り組みを通して企業理念の意味を深く理解できるようになった」「自分の会社を誇りに思えるし、以前よりもっと好きになった」と話している人もいて、結果的に会社への帰属意識を高めることになりました。 この企画は、サントリーウエルネスという企業に、直接的には1円の利益ももたらしません。そういう意味において、普通営利を追い求める企業としては「無駄」ともいえるかもしれないプロジェクトだと思います。ただ、営利と効率性だけを追い求めていては絶対に得られない価値を生み出している。僕が「無駄」や「余白」を大切にしたいと思うようになったひとつのきっかけは、この「Be supporters!」がくれたと思っています。
NHKで味わった「伝わらない苦しさ」
── ここまでの話を聞くと、小国さんはずっと明るく楽しい企画を打ち出し続けてきた人にも見えます。しかし、これまでになかった取り組みを実践するパイオニアには、他人からなかなか理解を得られずに苦しむ時期もあるかと思います。小国さんにも、そういった時期はあったのでしょうか。 伝わらない、届かないという経験の方が多かったです。山形放送局に所属していた時代は、視聴率0%をたたき出してしまったこともある。 『プロフェッショナル 仕事の流儀』でも、本当は30~40代のいわゆる現役世代をターゲットにしていたのですが、データを見たところ、実際に見てくれていたのは60代の独居男性がメイン層でした。 本当に、伝えることは難しいことです。厳しい言い方をすれば、「伝わらない」ということは「この世に存在しない」のと同じだと思っていた。だから、番組を作っても作っても見てもらえない状況は本当につらかった。勝ち目のない戦いを挑み続けているような感覚です。 「伝え方」をテレビ番組一択から変えないといけないけど、それはとても難しい。テレビ局の仕事はテレビ番組を作ることという強烈な、呪縛のような思い込みがあるから。 僕の場合は、33歳の時に心臓病になって、番組を作れなくなってしまったことがきっかけで、その呪縛から解き放たれることになりました。