1970年の「万博ピアノ」、時代超え今回の会場でも演奏へ…「二つの万博つなぐ架け橋に」
昨年6月、同校が統合した宇陀高を三浦さんらが再び訪れ、3日間かけてピアノを調整した。鍵盤が変色し外装にも細かい傷がみられたが、年月を積み重ねた外装はそのまま残そうと、あえて修理しなかった。
弦を打つハンマーや金属部分など、内部の部品は交換せずに磨くなどして生かすようにした。調整後、大阪・関西万博への機運が徐々に高まり、地元の住民らが見学に訪れたり、県が催す万博関連イベントで紹介されたりして注目を集めている。
県は奈良市出身の映画監督、河瀬直美さんがプロデュースするパビリオンで、万博ピアノの展示と演奏を計画している。米田さんは「70年の大阪万博を知っている人には、当時を思い出してもらえる機会になる。今もピアノが継承されていることを世界の人にも知ってもらいたい」と、ピアノの晴れ舞台を心待ちにしている。
同製作所創業者の河合小市氏(1886~1955年)は、1940年に開催される予定だった東京万博に向けてグランドピアノを製造。東京万博は戦争の激化で中止になったが、現在も個人宅で保管されているという。三浦さんは「ピアノはどんなジャンルの曲でも活躍でき、家族のような愛着をもって長く楽しめることが魅力。万博を通じて、時代を超えて愛される楽器だと伝えたい」と願っている。(山田珠琳)