元中日の大豊泰昭氏を追悼 ── 無骨な努力の人「トイレも1本足で」
正義感が強く頑固で純だった。こうだと決めたらビクとも動かない。そして周囲が見えなくなる。中日時代にはファンの心無い野次に怒りフェンス越しにバットを投げつけて謹慎処分を受けたことがあったが、その後も試合後に「観客席に大豊が走っていった!」と、スタッフが慌てた事件が何度もあった。 1998年に大型トレードで阪神へ移籍、翌年、野村克也氏が監督に就任すると激突した。ノムさんが新聞記者にぼやき、それが記事になると、そのコメントに腹を立てて首脳陣批判もした。一度「当て馬」に使われたことがあってプライドを傷つけられた大豊は、大激怒。試合途中に着替えて甲子園から帰った。球団発表は「首の寝違い」だったが、当時、私の勤めていたスポーツ紙が、その内幕を暴露すると、その記事を巡って大豊が、また大激怒。翌日の試合直前に執筆した担当記者をロッカーの裏に拉致する“あわや記者暴行”に発展するような事件まで起こした。この話は、幸いにも表ざたにならなかったが、当時、阪神担当の責任者だった私は甲子園のロッカー内にあった広報室で大豊と膝を突き合わせて話し合った。 「ただ、俺は野球をしたい、打ちたい、結果を出したい。それだけなんだ。なぜ足を引っ張られるようなことを新聞社に書かれ、監督に言われるのかがわからない」 野球界に、ありがちな愛想や媚を売ることもできない。どこまでも無骨で純粋で、そして繊細な男だった。 女優だった前妻とのなれ初めは、六本木か渋谷の街で、ひと目惚れしてのナンパ。女優だとも知らずに強引にお茶に誘い、いきなりプロポーズしたという話には笑えた。一度、名古屋の台湾料理談義となり、「本場の台湾料理はあんなもんじゃない」と言うので「どんなんやねん?」と返すと「本場の味を知りたいなら俺ところへ来い」と、八事にあったマンションに呼んでもらい、台湾風のシンプルな野菜炒めを作ってご馳走してくれた。 人間味豊かな愛すべきナイスガイだった。