「まるでフランス映画のような…」警察庁長官を撃った男を追え 空前絶後の巨大捜査本部があぶり出した“175センチくらいの男”
オウム真理教による地下鉄サリン事件から10日後の1995年3月30日、国松孝次警察庁長官が銃撃され瀕死の重傷を負った事件は、2010年に未解決のまま時効を迎えた。 【画像】銃撃犯の逃走経路と目撃情報の見取り図 時効成立時の警視庁公安一課長・栢木國廣(かやき・くにひろ)は長官銃撃事件の特別捜査本部で、現場付近の聞き込みを担当する「地取り班」の責任者に任命された。捜査員の聞き込みで、不審者の情報が続々と集まってきていた。 事件発生から間もなく30年。 入手した数千ページにも及ぶ膨大な捜査資料と15年以上に及ぶ関係者への取材を通じ、「長官銃撃事件とは何だったのか」を連載で描く。
目撃情報A「背の高い男」
事件発生直前、上野にあるジュエリー会社常務の春田浩一(仮名・当時55歳)は、午前8時25分、アクロシティFポートの自宅を出て職場に向かった。 エレベーターで1階に降りマンションのドアを開けピロティに出ると、Fポートの壁のところに男が立っているのを目撃する。 男は春田の3メートル先で、こちらに顔を向け立っていた。 この男は帽子にメガネ、マスク姿、濃い紺色のコートを着ており、脇に黒っぽいロゴ入りのスポーツバッグが置かれていたのも見えた。 「どこかおかしいな」と思いつつ、Bポートの方に歩いていき、BポートとCポートの間の道にさしかかったところで、春田に言わせれば「鉄板を地面に叩きつけた時の様な轟音が2~3回鳴った」という。 不審な男が立っていた方向を振り返って見たが男はもういなかった。 何だろうとは思いながらも忙しい朝だ。春田はそのまま出勤した。 春田が上野にある自分の会社に着いた途端、妻から電話がかかってきた。 妻は電話の向こうで「大変よ!マンションの入り口で警察の偉い人が拳銃で撃たれたのよ。あなたは大丈夫?」と取り乱している。あのけたたましい音は事件だったことを初めて知った。 春田自身も暫く思考が止まる思いがした。我に返った春田は会社の社長である兄にその話を告げると、「犯人を見たんじゃないか」と兄が慌てて110番通報するのである。 この通報を受けた上野署の古川刑事課長代理(仮名)と滝田巡査部長(仮名)が、サイレンを鳴らし緊急走行の覆面パトカーに乗って、この会社に飛びこんできた。 古川代理は背中で息をしながらやって来て、いきなり「常務さん、不審な男性ってどんな風体でしたか?」と尋ねると、「通り過ぎた時に、背が高いなと感じました」と春田は見たまま記憶のままを話した。