生田斗真×古田新太が「戻る場所」、改めて劇団☆新感線を語る
◆ 「斗真には迷いがない。工夫したりする奴苦手なの」(古田)
──古田さんは『スサノオ』のときから、生田さんを気に入ってたそうですね。 古田「稽古場に遊びに行ったら斗真がいて『素直でいい芝居するなあ。子役からやってて、場馴れしてんだろうなあ』って思ってた(笑)。でもそのあと観に行った芝居で・・・明治座(注:東京の劇場)だっけ?」 生田「はい、『あずみ~AZUMI on STAGE~』(2005年)って舞台を観に来ていただいて『お前、上手くなったなー!』って言ってくれて、すごくうれしかったのを覚えてます」 ──生田さんを「いいなあ」と思ったポイントはなんだったんですか? 古田「迷いがない。迷ったり、工夫したりする奴苦手なの、オイラ」 生田「ハハハ! 工夫ね」 古田「自分のアイディアとか出さずに、言われたことをやろうよって。倫也も最初に見たときから『こいつ、いいなあ』と思ったけど、演出家や監督に聞いてみたら、やっぱり2人とも『え? よくわからないッスけど、やります』みたいなところがあるって。言われたことをちゃんとこなすというのは、俳優として一番正しいことだと思う。だから斗真は本当に、この世界に入ったときから、素直に楽しくやっていたんだと思うよ、きっと」 ──古田さん自身、言われたことは断らず、なんでもやるって言ってましたもんね。 古田「言われたことをやってOK貰えば帰れるんだから(笑)。早く帰った方がいいんですよ。工夫とかしてないで」
◆「なんでこの人、ぽちゃぽちゃしてるのにかっこいいの?」(生田)
──生田さんから見た、古田さんの魅力は? 生田「17歳で初めて出会ってから、ずっと古田さんのお芝居を観てきたんですけど『なんでこの人、ぽちゃぽちゃしてるのにかっこいいんだろう?』『なんでこんなに色気があるんだろう?』って、どんどん気づいていくんですよね。僕だけでなく周りの人たちも、度肝を抜かれることがいっぱいあるし、『バサラオ』でも古田エッセンスがどのように入ってくるのかは、楽しみにしているところです」 ──生田さんが「新感線で楽しそうな大人たちに出会ったから、俳優をつづけようと思った」というのは有名な話ですが、今回は生田さん39歳記念の「39(サンキュー)公演」と銘打たれるとか、本当に親密な関係ですね。 生田「この前も稽古場で『斗真、いくつになったん?』『もう40になります』『お前、制服を着て来てたのになあ』という会話がありました(笑)。いまだに17歳で止まってるんだなって。だから実家に帰ってきたような温かみがあるんですが、昔から一番近くで僕を観ている皆さんなんで『この人たちの前で、下手なことはできない。しっかりしたものを見せないといけない』という、緊張を感じさせていただけるような場所でもあります」 ──緊張と緩和がハンパない現場だと。 生田「新感線はそういう場所ですね。『スサノオ』のときは、新感線が東京に出てきてそんなに経ってない頃でしたけど、そこから劇団も大きくなって、規模が膨れ上がっていって。自分もそれに負けないよう、また新感線に呼ばれるように、がんばって並走してきたような感覚もあります」 ──古田さんは、最近は自分で舞台を企画されたりもしますが、新感線というホームがあることの良さを感じることはありますか? 古田「結局オイラが新感線に帰ってくるのは、さっき言ったような下品なミュージカルを、大掛かりにできる場所だから。オイラは宮藤(官九郎)とか福原(充則)とかを使って、セコい音楽劇を作ったりしてるけど(笑)、新感線は新感線で大仰なことができる」 生田「『轟天』(注:新感線のネタ物芝居の最高峰と言われるシリーズ)とかね」 古田「そうそう。『轟天』みたいなことができるのは新感線だけ。だからそこは戻る場所としてあって、セコいことはよそでやるっていう。でも『セコい』っていうのは『面白』でもあるから。新感線の大仰な面白もいいけど、セコい面白もやっていきたい。ほかにもいろいろ考えてるんですよ。井上芳雄とか山崎育三郎とかを使って、そいつらの顔が一切見えないミュージカルをやるとか(笑)」 生田「ハッハッハ! 観たいけどねえ・・・『金返せ!』って大クレーム来ますよ」