HKT48松岡はなさん、心の支えはドラ2の絆 卒業決意の理由は… TIFでファンの涙を見た思い
バイトAKBからドラフトへ
小学生のころからヒップホップなどのダンスを習っていた松岡さんは、2014年、期間限定でAKB48の活動にアルバイトとして参加できる「バイトAKB」に、本人が知らないうちに母親が応募したことが、アイドルになったきっかけでした。 続いて、第2回AKB48グループドラフト会議(2015年5月開催)に応募、指名によりHKT48での活動が始まります。 「バイトAKBが終わった段階で、私はいいかなと思ったんですが、母親が『もったいないから受けたら』と言ってくれて、ドラフトに応募しました」 「自分は、こうしたいというより、周りに言われたらそれを頑張るタイプ」と自己分析する松岡さんですが、加入当時中学3年生、はじける笑顔とキラキラした輝き、高いダンススキルなどでで、またたく間に、人気メンバーになっていきます。 初のセンター曲「最高かよ」が発売されたのは、加入からわずか1年3カ月後の2016年9月でした。その年にはAKB48のシングル表題曲の選抜メンバーにも選ばれます。 「とにかく1日がどんどん過ぎていったので、記憶がないんです。ただ、まだ自分が人気か人気じゃないかもあんまり分からないぐらいの時に、どんどん前に出させていただいていたので、いいのかなっていう風に思っていました」
心の支えは「ドラ2」のメンバー
初センターについてはこう回想します。 「前に人がいない。隣がさっしー(指原莉乃)さんとか、さくちゃん(現在は韓国の5人組グループ「LE SSERAFIM」で活動する宮脇咲良さん)とかだったので、はあ、どうしようという感じにもなっていました」 それでも、取材を受けたり、歌番組に出たりするうちに、次第にセンターとしての責任や自覚を感じるようになったそうです。 「最高かよ」については「たくさんの方が好きって言ってくださり、ありがたい曲を頂いたとすごく思います。最初聴いた時は、歌詞にMIXが入っていて、うそなんじゃないかなっていう曲でした。それがこんなにもたくさんの方に知っていただけて、盛り上がれるのってびっくりです」。 当時は指原さんが劇場支配人を兼任し、ライブのセットリストも発案するなど辣腕をふるっていました。 「本当に何もかもやってくださっていたので、私はもう普通に楽しんでいました。ライブも、ただ歌って踊って楽しんで盛り上げていければいいと感じで、楽しかった思い出しかないんです」 2019年春に指原さんが卒業、翌20年からのコロナ禍によってアイドルとしての活動が大幅に制限されました。 松岡さんは「不安はめちゃくちゃ大きかったです。歌って踊るのが大好きなのにできない。ファンの方たちとも会えない。さくちゃんとなこちゃん(矢吹奈子さん=卒業)がその時は韓国で活動していていなかったので、私が前に立たせていただくことが多かった」と振り返ります。 活動の支えになってきたのは同期の「ドラフト2期生」の絆でした。 加入当時は11歳、身長130センチほどで「お子さま」キャラで話題となり、成長に伴いダンススキルの高いメンバーとして人気となった今村さん、デビュー当時はおかっぱ、その後、トーク能力やバラエティ番組への適性で人気となった村川緋杏(びびあん)さん。個性あふれるメンバー3人が仲良く活動してきました。 村川さんは2022年秋にアソビシステムに移籍し、現在はアイドルグループ「CANDY TUNE」で活動していますが、今もLINEグループで報告しあっているそうです。 「ドラ2は心の支え。普段の出来事も伝えるし、何かつらいことがあっても、いっしょに頑張ろうって言い合っています」 この夏のTIFでは、同じ日に出演していた村川さんとも会場で会うことができました。「びびあんはCANDY TUNEで毎日のようにライブをやって頑張っていて、尊敬します」と松岡さんは話します。 そうした中、HKT48は先輩だけでなく後輩である4期生も次々と卒業し、世代交代が進みます。松岡さんも22年秋、1期生として最後に卒業した本村碧唯さんから、本村さんの後任としてチームK IVのキャプテンに指名されました。 「周りに頼って、意見を聞いて何とかまとめる感じでやってきました」 はなちゃんといえば笑顔というイメージがファンにはとても強いですが、笑顔でいることがつらかったことはなかったのでしょうか。 「体調が悪い時はちょっときついなと思うこともあるんですが、でもそんな本当にしんどい、みたいな時はあまりないです。あんまり落ち込まないし、悩んでも一晩寝たら忘れるタイプです」 「モチベーションを自分で高めるとかも特にないんです。もう使命っていうか、なんか、そうしなきゃいけないみたいな感じに多分体が自然となっているのだと思います」