「トイレで老婆が剃刀を向けてきた…」。朝ドラの寅子モデルが、キャリアを積む中で抱いた葛藤
■裁判所で剃刀を向けられ落ち込んだ 順調に出世を重ねていく姿にばかり目がいきがちだが、裁判官としてキャリアを積むなかで、苦しい思いをしたこともある。 ある日、法廷を終えてトイレに入ると、洗面台で裁判の当事者だった老婆からいきなり剃刀の刃を向けられた。幸いにも、嘉子にけがはなく、駆けつけた警察官によって、犯人はただちに取り押さえられた。ひどく落ち込んだ嘉子は、裁判官の内藤頼博のもとを訪ねている。 裁判所のなかで、訴訟の関係者が興奮してあらぬ行動にでること自体は珍しくはない。内藤も初めは「とんだ災難に遭ったものだ」とただ同情して話を聴いていたが、嘉子が吐露した悩みはもっと深いものだった。内藤はのちに、このときの嘉子(文中では「和田さん」)の様子をこう振り返っている。
「その夜の和田さんは、真剣であった。相手を責めるのではない。当事者をそういう気持ちにさせた自分自身が、裁判官としての適格を欠くのではないかという、深刻な苦悩を訴えられたのである」 また、嘉子が東京地方裁判所に着任したばかりの頃、原爆投下の違法性を争った国家賠償訴訟の「原爆裁判」が行われると、嘉子は第1回口頭弁論から結審まで担当し続けた。 結果的には、被爆者の損害賠償請求権は否定されて、訴えは棄却された。だが、判決文では「原爆投下は国際法違反」という判断が下されることになり、この見解がのちに被爆者救済の根拠となった。
■判決が出たとき、嘉子は異動になっていた 判決は昭和38(1963)年12月7日に下されたが、このときすでに嘉子は家庭裁判所に異動になっていた。そのため、嘉子が法廷に現れることはなかったものの、判決文には「三淵嘉子」と自著で署名されている。嘉子が原爆裁判について語ることはなかったことからも、判決に至るまでに、人には明かせない葛藤があったのだろう。 裁判官としてさまざまな局面を経験した嘉子。その活躍の舞台を東京家庭裁判所の少年審判部九部に移すと、 9年間にわたって、少年の審判に携わることになった。