【中継】「もっともっと核兵器廃絶を訴えていかないと…」箕牧智之さんの思い ノーベル平和賞決定
今年のノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器の廃絶を訴えてきた「日本被団協」が選ばれました。 驚きの発表から3日、箕牧代表委員と中継がつながっています。 野川キャスターお願いします。 【野川キャスター】 広島市中区の広島平和会館からお伝えします。 こちらには日本被団協の箕牧智之代表委員に来ていただきました。 よろしくお願いします。 【日本被団協・箕牧智之代表委員】 Q:改めてノーベル平和賞の受賞が決まったとき、どんなお気持ちでしたか? 「私は核兵器禁止条約が採択される年に、横浜の小田さんとニューヨークに行きました。当時の議長、コスタリカのホワイトさん、中満いずみさんに署名を渡して、もうこれで世界は変わるかなという淡い期待を持ち続けながら、10月11日午後6時を迎えたんです。その時に「日本、何とか何とか」と聞こえたんですが、よくわかりませんでした。そうしたら報道の皆さんが、「日本被団協だ、日本被団協がノーベル平和賞だ」と言われました。「ウソ、ホント?マジ?」と言う感じでした。その瞬間の気持ちは、私の心は風船が舞い上がったようなそんな気持ちです」 Q:様々な方の顔が思い浮かんだのではないですか? 「初代森瀧市郎先生。「核と人間は共存しない」という言葉。伊藤サカヱさん、藤川一人さん、そして坪井さん。坪井さんはネバーギブアップ、諦めたら駄目という言葉を残されました。そういう人たちやさらに34万人もの被爆で亡くなった方のお名前が慰霊碑にある。そういう尊い命に心込めて献花をさせていただき、「ノーベル平和賞をいただくことになりましたよ」とご報告を申し上げました」 Q:68年にわたり核廃絶を世界に発信し続けたことが評価されたということですが、どのように受け止めていますか? 「私たちは3才の被爆ですから。坪井さんは20才で被爆です。桁違いの人生をみんな歩んできました。被爆者は。その中で地道な活動、特に署名活動はねやりました。広島県の被団協としては1月新年の集い、8月6日は慰霊式をしたり、式典に参加したり地道な活動を続けながら被爆79年を迎え、そして80年になるんですが、被爆者が高齢化してなかなか思うように行動ができないというのが残念です」 Q:世界で核兵器が使われる懸念が強まっている中、この中で受賞したことはどんな意味があると思いますか? 「ロシア、ウクライナ、イスラエル、ガザ、そして中東、さらに台湾、中国、朝鮮半島、世界中で争いが始まり、いつ日本の近くで有事が起きるか分からない。そんな中でノーベル平和賞という貴重な賞をいただいたんですから、私たちはもっともっと核兵器廃絶を世界中に訴え続けていかんと、なかなか世界中に届かない。特に国を治める政治家に変わってもらわないと、なかなか核兵器廃絶は厳しい状態が続くと思います」 Q:被爆者の高齢化がありますが、今後どのように継承していくのかが課題となっていますが、いかがですか? 「昨日は若い人たちが祝ってくれたんですけど、高校生平和大使、カクワカ、そして被爆二世の方々がやっぱりノーベル平和賞を日本がもらったというような意識を高めてもらって、「今度我々が行動する番だ」と言うような雰囲気を私たちが若い人たちにお願いしていかなけれないけないと思います」 今回の受賞決定は、まさに核兵器廃絶を訴えてきた被爆者の思い、広島の想いが世界に届いた瞬間なのではないかと思いました。 ありがとうございました。
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