「芸能人古着ビジネス」はなぜ撤退するのか 被災5年後の石巻で見た支援活動の終わり方
復興支援活動の終わり
2015年秋。三上さんは発起人の野口さんと津田さんに撤退の相談を行い、承諾を得た。開始から売上やサイトの閲覧者数など細かく報告していたため反対はなかったという。 行政の助成金や補助金をもらうことは考えなかった。1度だけ補助金30万円を受けたことはあるが依存してしまうのが怖かった。「あくまでビジネスとして自走する団体を目指していたので」と三上さんは説明する。 スタッフは三上さんを含め社員3人パート3人の計6人が最多。活動期間全体で収支をならすとトントンくらいだったという。 「やりきった感はないです。もっとやれたかなという気持ちはやっぱりあります。雇用面で言うと、もう少し雇えなかったのかという気持ちは強いです」。三上さんは悔やむ。 清算手続きを終えたら石巻市内の水産加工会社で仕事をする予定だ。工場で働きつつウェブ制作を担当しようと考えている。
元マイクロソフト社員が続けた仮設住宅での新聞発行
作った「仕組み」を地元の人々に引き継いで残す。そんな形で被災地支援へのかかわりにピリオドを打つ人もいる。 仮設きずな新聞はピースボート災害ボランティアセンターが2011年10月から発行する仮設住宅向け無料情報誌だ。編集長の岩元暁子さん(33)を含めた3名が常勤。学生や地域住民らによるボランティアスタッフを指導しながら記事執筆や新聞配布に取り組んだ。A4サイズ4ページ。約5500部を市内133カ所の仮設団地で月2回配った。 イベントや地域課題の情報、運動不足やアルコール依存症への注意喚起などを記事にするかたわら、配布時の個別訪問を通して仮設住民の孤立や引きこもりを防ごうと努めた。自分の子や孫のように接してくれる人もいた。長いときで1軒2時間くらい話し込んだ。「あの時死んでおけばよかった」と泣かれることもあった。 もとはマイクロソフトに勤めていた岩元さん。ボランティア活動に関心を持ったきっかけは同社のボランティア休暇制度を利用したことだった。