天皇杯Vの川崎F鬼木監督が中村憲剛に“謝罪”した理由
「僕も一緒にピッチで戦っていますから。フロンターレが勝つために、この展開でどのようにすれば自分が力になれるのかを、延長戦があるかもしれないなかで考えながらずっとアップしていました。出られなかったのは残念ですけど、勝負は勝つことがすべてなので、最後までフロンターレのために頭をフル回転させることができてよかったと思っています」 冒頭で記した2人だけの会話に話を戻せば、指揮官の専権事項である選手起用の件でおもむろに謝罪された中村は、鬼木監督の胸を震わせる言葉を返してきたという。 「憲剛は『チームの勝利が最優先ですから』と話してくれました。僕の決断に対して『そう思っていました』とも。僕の頭のなかをわかってくれる選手なので、そういうやり取りをしました」 鬼木監督と中村は、かつてはチームメイト同士だった。テスト生からプロ契約を勝ち取った中村が、中央大学から加入した2003シーズン。J2を戦っていた川崎のボランチには、鹿島アントラーズから加入して4年目の鬼木監督が名前を連ねていた。 トップ下からボランチに転向した2004シーズンに頭角を現した中村は川崎を背負う存在となり、日本代表の常連にもなった。そして、2006シーズン限りで引退した鬼木監督は育成および普及コーチ、トップチームのコーチを務めながら、中村とともに進化する川崎を間近で見てきた。 そして、監督に就いた2017シーズン以降の4年間で、シルバーコレクターと揶揄された川崎は5つものタイトルを獲得。中村が胸中に秘め続けてきた40歳での引退を10月下旬に告げられ、何度も慰留したい思いに駆られた今シーズンは、始動時に目標として掲げた複数タイトル獲得も成就させた。 先輩と後輩からコーチと中心選手、そして監督と代役のきかない大黒柱と2人の関係を変えながら、川崎を強豪に変えてきた18年もの歳月はあまりにも濃密だった。だからこそ、現役ラストマッチで起用したいという情に駆られたなかで、最終的には結果を最優先させた鬼木監督へ、普段から畏敬の念を込めて「オニさん」と呼ぶ中村も笑顔で感謝の思いを捧げた。 「これがいい筋書きだったと思っています。もう次のステージへ向かっていくチームであり、そこへ2020シーズンで止まる人間がどのように関与していくのかを、オニさんも考えに考え抜いてくれた。ただ、個人的な感情は抜きにしなければいけない戦いだし、ベンチで戦っていた僕でもそうすると思っていました。終わった瞬間はホッとしたし、みんながボロボロ泣くからもらっちゃいました」 仲間たちが号泣した理由は、FW家長昭博の言葉に中村の存在の大きさを絡めればおのずとわかる。