<大移民・難民時代の到来>トランプ劇場第二の幕開け 命がけで故郷を離れる人々を追う、国境の現場で起きていることとは?
移民に寛容と目されたバイデン政権への期待で、コロナ禍で抑え込まれていた人の流れが激しくリバウンドした。中米だけでなく、その源流にあたる北米と南米を結ぶ道なき密林ダリエンギャップを通って、南米やアフリカ、アジアなど別大陸からも数十万人が流れ込んだ。国境での拘束者数は22年度に史上初めて200万人を超え、政権や当局の手に負えなくなった。物価高で暮らしへの不満が高まる中、バイデン大統領・ハリス副大統領の移民対策の無策ぶりを非難し、「史上最大の強制送還」を掲げて24年の大統領選を制したのがトランプ氏だった。 その直後、就任前に米国に駆け込もうと、メキシコ南部から再びキャラバンが出発した。トランプ氏はすぐに「メキシコとカナダからの全輸入品に25%の関税を課す。侵略が止むまでだ!」と投稿。就任後に再び非常事態を宣言し、米軍を動員する構えだ。再放送のようなトランプ劇場の続編がすでに幕を開けている。 国境を越え、ときに大陸すら越え、密林や砂漠、川に身を投じる人たち。そこには貧困や格差、紛争や暴力など世界の宿痾が投影され、その足取りは国際社会を激しく揺さぶっていた。なぜ命がけの旅に出るのか。行く先に何をもたらすのか。そのルートをたどりたいという思いが高じた筆者は新聞社を辞めてフリーになり、21年夏、彼らのもう一つの目的地、欧州大陸にあるオランダに拠点を移した。
欧州大陸:人権尊重は建前に「移民兵器」の揺さぶりも
シリアなどから100万人以上が押し寄せた15年の難民危機の後遺症を引きずる欧州もまた、移民・難民問題で揺れ続けていた。 主舞台は海だった。筆者が乗った地中海の捜索救助船は、洋上でアフリカやアジアなど16カ国出身の439人を救助した。紛争が続くスーダンから脱出した青年。無期限の徴兵から逃れたエリトリアの青年。家族への仕送りを目指すバングラデシュの青年。様々な事情を抱えた人たちが粗末な木造船やゴムボートに乗り込み、毎年2000~3000人が命を落とす海をさまよっていた。 そして22年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。 子どもの手を引く母親らの姿を前に支援の動きが沸騰し、ボランティアが夜通し奔走した。避難民が到着するポーランドの国境メディカには支援テントがずらりと並び、子どもを和ませようと恐竜の着ぐるみがキャンディーを配っていたほどだ。時間がかかる難民認定手続きをスキップして、長期滞在して就労や通学もできるようにと、欧州連合(EU)は初めての「一時保護措置」適用をわずか1週間で決めるなど、官民挙げて惜しみない支援が行われた。 筆者は戦時下のウクライナに半年、欧州内外を半年旅しながら、人の流れを追い続けた。 侵攻でエネルギーや食料の価格が高騰し、筆者の住んでいたオランダでも前年同月比17.1%もの猛烈なインフレに苦しめられた。侵攻1年後には欧州の支援疲れが鮮明になり、ボランティアや募金は集まらず、ドイツではウクライナへの武器供与や移民・難民の受け入れに反対するデモが繰り返された。2年後にポーランド国境を再訪すると、ウクライナ産の安い農産物の流入に反対する農民たちが幹線道路を封鎖しており、貨物列車からは積み荷のトウモロコシが線路にぶちまけられた。 600万人を超すウクライナ避難民、難民危機以来7年ぶりに100万件を超えた難民申請。高止まりする物価高が生活にのしかかる中、移民・難民排斥を掲げた極右勢力が欧州各国で選挙のたびに勢いを増した。オランダでも23年の総選挙で、極右政党がついに第一党に躍り出て、極右主導の連立政権が発足した。