「ああ、マンション買えたな~」な昭和のカスタム沼伝【昭和エモ伝Vol.5】
時は進み、次なる愛車はスズキのGSX750E4に。すると、前出の○沢さんがまたもや悪魔の囁き。「ヨシムラにさ、シュワンツが乗ったスペアエンジンがあるんだけど、組まない?」。この頃の○沢さんは独立してショップをオープンし、親父さんに気に入られてヨシムラへもメカのヘルプで出張っていた頃でした。 ゴッドハンドによる、まさしく神パーツとの出会い。もちろん組みましたよ。ちなみに、このE4はリヤを18インチ化して前後ダイマグにロッキードのブレーキキャリパーなどなど、車体も当時のAMAスーパーバイクレプリカ的に大改造。詳しくはいえないけど、これも当然ながらメチャクチャ速かった。ただ、エンジンの慣らしで東名を走っていて、覆面(パトカー)を追い越しまったのは余計だったなぁ。 ──’85 年からヨシムラの契約ライダーとなったケビン・シュワンツがまず乗ったのがGSX750Eのスーパーバイクレーサー。ライバル勢に対し不利なマシンだったけど、デビューイヤーで通算3勝はお見事。まさか、このシュワンツのスペアエンジンを自分のE4に組むことになるとは……。
のちの東京オートサロンではカスタム車で金賞をいただいた
さらに時は進み、時代は平成。いい歳になった頃、愛車はハーレーのパパサン(スポーツスター883)に落ち着いた。じゃあ、カスタム熱も落ち着いていたのかというとそうじゃないw。まず、ドラッグレース用のパーツをベースにボアアップだけで排気量を1460ccまで拡大し、カム、バルブスプリング、コンロッド、シリンダーヘッド、FCRキャブ、点火、スーパートラップと大暴れ。最後にはアルミスイングアームを組み込んでたね……。 完全に余談ながら、1980年代にはクルマのカスタムにもはまり込み、ルノー・アルピーヌA310Aもフルチューン。FRPボディもワンオフ制作してもらい、某誌主催の晴海のショー(現・東京オートサロン)で金賞をもらい、賞金とマカオGPご招待を頂いたこともあった。 昭和の後半は、日本経済の勢いは半端なく、国内のモータリゼーションの熱量も最高潮の時代。当時の日本男子といえば、高校生以降は湯水の如く愛車に大枚を注ぐのが当たり前だったわけで(言い訳)、私の場合はカスタムによって蓄積した知識で仕事を得ていたわけで(言い訳)、いま考えればカスタムに明け暮れた日々はいい思い出だね。……ただ、後から計算してみたら、カスタムの泥沼に費やした総額で、マンションが買えたかもしれないんだよね。これはカミサンには黙っておこう。 ──アルピーヌA310のカスタムにも狂いました。元々がFRPボディの車両ですが、それを全部ワンオフのグループ5仕様作り変えてます。細かい所では、エンケイのスペシャルホイールに日本で売ってなかったコルベットZR用のヨコハマを履かせてたり。 ──当時OPTION誌が開催していた第4回・東京オートサロン(※当時は東京エキサイティングカーショー)では見事グランプリ受賞という快挙も(オプション誌’86年3月号より)。 ※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
●文:ヤングマシン編集部(牧田哲朗) ●写真:牧田哲朗/YM Archives