「先生、家に帰りたい…」自宅での最期を望む患者、〝在宅医療〟を叶えるかりゆし姿の医師
在宅医療に感謝 遺族の思い
患者の一人、西本幸子さんは84歳の時に福井医師と出会った。重度の心臓の病気を患い肺の病気もあった。余命1~2年だと大学病院で言われていた。残りの日々は自宅で過ごしたいと願い、福井医師の存在がそれを可能にした。寄り添うのは娘の康子さんだ。 「ここならわがままも言えるし、近所の人も訪ねてくれる。友達も遊びに来てくれる」 幸子さんはそう話し、福井医師に全幅の信頼を寄せていた。趣味のものづくりをしながら日々を楽しんだ。気が付けば、余命1~2年と言われてから3年が経っていた。 その幸子さんが今年初めに86歳で亡くなった。最期は体調を崩し、連携する総合病院へ入院した。福井医師が病院へお見舞いに行くと、手を握りながらこう言ったという。 「先生、もう1度家に帰りたい…。」 福井医師は、その思いにこたえたかった。 「わかった。帰らしちゃる。」 そう言って準備を進め、もうすぐ退院と決めた日の直前に、そのまま帰らぬ人となった。
亡くなって1ヵ月後、花を抱えた福井医師が、娘の康子さんの元を訪れ仏壇に手を合わせていた。遺族を訪ね、話を聞き寄り添う「グリーフケア」と言われるものだ。それをすることで、もっとできたことがあったのではないかと考え、次につなげるとともに、自分自身の心の整理もするという。双方の心のケアのような意味があり、福井医師はほぼ毎回行うようにしていた。 「最期が心残りだった。」 という福井医師に対し、康子さんは言った。 「私自身は、心残りがあるかなと思ってみたり、精一杯やったとも思ってみたり…。でも在宅医療はすごくうれしかったです。先生には十分してもらいました。母は、友達にも囲まれていました。在宅医療はありがたかった。」 どんな最期を迎えたいか、迎えてほしいか。在宅医療は看取る側の家族にとっても、選択肢の一つとして可能性を広げている。
「日々ドラマがあるんです。もちろん主役は患者さんとその家族です。でも自分が指揮者として参加させてもらっている気がしています。こんなやり方があるよと、提案をさせてもらうことで、その人の人生が豊かになることにやりがいを感じています。」 福井医師は、人と密接にかかわる在宅医療が自分には向いていると感じている。もともとは救命救急医だった。大阪や沖縄の病院で働き、ドクターヘリにも乗り、救命救急医療に取り組んだ。故郷の広島に帰り5年前、父が院長を務める「福井内科医院」で働き始めた。見渡せば内科は他にもたくさんある。これからの時代にあった医療は何か、そう考えたとき、救命医の経験が生かせる在宅医療に行き着いた。 緊急の呼び出しもあるため、決して楽な仕事ではない。妻と5人の子供との生活もある中、時には自己犠牲も必要とされる。でも救命救急医として活躍した自分だからこそ対処できることがあるという自負もある。何より患者との距離が近いことに魅力を感じている。「人が好き」なのだ。