分断と対立の現代。共生社会実現のヒントは江戸時代にある? 「宇宙人と戦う前に考えてほしいことがある」と歴史学者
国際社会ではウクライナや中東での激しい戦争、米国内での世論分断…。日本国内を見てもインターネット上にあふれる他人への不寛容や誹謗中傷…。 【写真】江戸時代には「全身白ギツネ男」が実在した シーボルトお抱え絵師が残した200年前の日本は「別世界」
対立と分断が深まり、先行きが見通せない時代。普通に暮らしたいだけの庶民が、穏やかに平和に共存するには、どんな社会や世界にしたらいいのだろうか? 国際政治や社会学の専門家ではない日本史の学者に聞いてみると、実は多様性に満ち、案外自由だった江戸時代がヒントになるのではと話した。潜伏キリシタンなどの近世民衆史を専門とするこの学者が、現代人が戦うべき相手として挙げたものとは…。(共同通信=下江祐成) ▽「士農工商」の身分制度は否定されている。宗教の掛け持ちも当たり前だった 教科書で習った記憶では、江戸時代と言えば、身分制度が厳しく、キリシタン弾圧もあった暗いイメージがある。 だが、長崎や熊本の潜伏キリシタン研究の第一人者である大橋幸泰・早稲田大教授は、「士農工商」という身分制度は近年の研究で否定されてきていると話す。 多様な身分や宗教が混在していた江戸時代。一人の人間にはさまざまな身分があり、身分と身分の境界もあいまいで、実は多様性のある社会だったという。
潜伏キリシタンも一神教信者と思われがちだが、実は寺や神社の活動にも参加していた。そもそも当時の人は、一つの宗教活動だけを行っていたのではない。仏教や神道、陰陽道や修験道など宗教も多様性に満ち、かつ多くの人が信仰の掛け持ちをしていたという。 ▽村民として結束していた江戸時代 江戸時代初期の苛烈な弾圧後、長崎や熊本でキリシタンはどう「潜伏」していたのだろうか? 大橋氏によると、キリシタンも非キリシタンも年貢などを村単位で請け負う制度下で、同じ村民としての意識や結束が強かった。用水の管理などに加え、寺や神社の活動も一緒に行っていた。自分の宗教上の属性より「村民という属性」で結束していたというわけだ。 江戸幕府を倒した明治政府は、欧米列強に負けないように国民国家建設を急ぎ、国民という一律の型にあてはまる価値観や人間像が教育されていく。 天皇中心の新秩序をつくるため、宗教の境界が曖昧だった状態を変えようと神仏分離令を出し、多様性を許さないようになっていったという。 長崎奉行所に近い長崎市浦上地区では多くのキリシタンが「潜伏」していた。奉行所が事実上、黙認していたからだ。