「せめて遺族に生前のほほ笑みを」犠牲者300人を復元した「おくりびと」は、仕事を投げ打って能登へ向かった ボランティアが示す「覚悟」
「あ、ほほ笑んでる」「これならご遺族に顔を見せられる」。最初は遠巻きに見ていた警察官たちも、安心したように声を上げた。一人が、笹原さんに話しかけた。 「当時、私も東北で支援活動をしたんです」 「えっ、そうなの?」 笹原さんは思わず作業の手を止め、相手の顔を見て、こう伝えた。 「あの時は来てくれて、本当にありがとうございました」 13年越しに感謝を伝えられたような気がした。悲惨な現場だが、目の前の犠牲者がつないでくれたようにも感じる縁。そのひと言を伝えられたのがうれしくて、頑張るエネルギーが湧いた。 ▽託した物資、「遺族のために」 現地はこの日も余震が続いていた。さらに断水や停電もあって思うように作業できなかったが、深夜までかかって遺体の処置を終えた。すぐにでも次の活動場所に向かいたかったが、「危ない」と止められ、車中泊することに。外の気温は氷点下2度。寒さをこえらながら空を見上げると、満天の星空だった。流れ星がいくつも見えた。
翌日は輪島市の遺体安置所へ。到着すると、遺族の心のケアに当たる「災害死亡者家族支援チーム」DMORT(ディモート)のメンバーが既に活動していた。 ディモートはアメリカで先行する取り組みだ。日本では、2005年の尼崎JR脱線事故を契機に、研究会が発足。メンバーは医師や看護師らで、2016年の熊本地震などでも活動し、2017年に法人が設立された。笹原さんは心強く感じた。 さっそく遺体の修復作業に取りかかったが、笹原さんの支援活動はこの日が最終日。帰り道の渋滞や悪天候を考えると、活動時間は残りわずかだったため、止血など、遺体の保全を優先することにした。遺族が希望した場合の顔の着色などを、ディモートに依頼したところ、快諾してもらえた。帰り際、残っていたメイクセットや防水シートをディモートのメンバーらに「使ってください」と託した。岩手の自宅に帰り着いた時、体重は出発前より3キロ落ちていた。