「せめて遺族に生前のほほ笑みを」犠牲者300人を復元した「おくりびと」は、仕事を投げ打って能登へ向かった ボランティアが示す「覚悟」
▽「後悔しないため、手を抜かない」 安置所を管理する警察官とその場で打ち合わせし、まず運営の基盤となる作業を急いだ。足りないひつぎを一緒に組み立て、遺体のそばに置かれたドライアイスの量を確認する。ドライアイスが足りないと、腐敗が早く進んでしまう。 遺体の保全や修復に取りかかれたのは、暗くなりかけてから。底冷えする中、お棺の脇に膝をつき、かがみこむような体勢で遺体の出血や体液の流出を止めていく。この処置で腐敗の進行やにおいを防ぐ。災害時は犠牲者の多さから火葬場が混乱し、遺体を火葬場に搬送できる時期が見通しにくくなるためだが、遺族にとっても大きな意味を持つ。さらに、手のぬくもりを犠牲者の顔に伝え、笑いじわを蘇らせた。 続けるうちに肩や腰はこわばり、疲労で目もかすむ。立て膝で長時間作業をしているため、膝も真っ赤になったが、自分に言い聞かせた。「後で悔いが残らないように、絶対に手を抜かない」
無心で手を動かしていた時、突然、目の前が明るくなった。 「これで見えますか」 安置所にいた警察官たちだった。暗がりの中で遺体と向き合う笹原さんのため、代わる代わるライトやランタンで照らしてくれた。 ▽忘れられない「つぶれた顔」 笹原さんのそばで作業を手伝った元消防職員の三浦智昭さんは、13年前の光景を思い出していた。 三浦さんは東日本大震災の津波で義理の両親を失った。だが、消防にとって最優先は生存者の救助。悲しむ間もなく、仕事に打ち込んだ。震災から数週間後、初めて一日だけ休みを取った。行方不明だった義父の捜索に立ち会うためだ。 住まいがあった場所のがれきの下から遺体が見つかった。苦しみ、もがいているような表情。わずかな面影で義父だと分かった。あの「つぶれた顔」は今も忘れられないという。 だからこそ、面影やほほえみを取り戻していく笹原さんの作業を前にして、こう思わずにはいられなかった。「あの時、義父も復元してもらえていたら…」慣れ親しんだ顔で最期の時間を過ごせることが、遺族にとってどれほど大切か、痛いほど分かる。