11月シリーズで散見された不安定な守備 板倉滉へ注文…継いでほしい日本代表“闘将の系譜”【コラム】
宮本恒靖も吉田麻也も長谷部誠も示してきた“リーダーとしてあるべき姿”
それは、かつての宮本恒靖(JFA会長)も、田中マルクス闘莉王も、吉田麻也(LAギャラクシー)もそうだった。吉田などは、若い頃から失点に関与するミスを犯すことが少なくなかったが、それでもメディアの前から逃げるようなことは絶対になく、つねに冷静に、時にはユーモアを交えながらプレーを客観視し、次にいち早く切り替えようとしていた。あのポジティブマインドがあったから、12年間も日本代表で戦い続けられたのだろう。 フランクフルト時代の晩年に「日本のベッケンバウアー」と評された長谷部誠(日本代表コーチ)にしても、チームメートを怒鳴りつけるほどの厳しさを示す姿をしばしば見せていた。代表では最終ラインに入る機会はほとんどなかったが、つねに周りに目を配り、叱咤激励し、チームの窮地を救ってきたのは事実だ。そういう人間でなければ、40歳までドイツの1部で戦い続けることはできなかった。今の板倉には、最高の見本が目の前にいるのである。 本来なら、守備陣のリーダー的役割は冨安健洋(アーセナル)が担うべきなのだろうが、2022年W杯以降、彼が代表に参戦できたのは、2023年9月のドイツ戦(ヴォルフスブルク)から2024年6月シリーズまでの限られた期間だけ。アジア杯期間中も別メニューが続き、現在も長期離脱中。今冬の移籍期間にはアーセナルから放出されるという噂まで出ている。もしそうなれば、メンタル的にも難しいだろうし、代表復帰はその後になると見られる。となれば、森保一監督もなかなか彼に負担をかけられないだろう。 一方で、吉田が代表を離れた後、ベテランDFとして全体をまとめてきた谷口も長い離脱を強いられることになった。手術を受けており、長期間、戦列を離れることになると見込まれている。実戦復帰できたとしても、すぐにトップフォームに戻る保証はない。その2人がいつ戻ってくるか分からないのだから、板倉にはより大きな重責が託されるところだ。 「自分から声をかけてやっていきたいですし、自分だけじゃなくてチーム全員がそこをやる必要はあると思ってるので、本当にみんなで声をかけながら戦っていきたい」とインドネシア戦前には前向きに語っていただけに、28歳という円熟期を迎える2025年は“本物の守備陣のリーダー”へと変貌を遂げるべきだ。 「インドネシア戦の菅原(由勢=サウサンプトン)選手のゴールもにしてもそうだけど、普段出ていなくてもみんなが準備できている。今の日本代表はそういう集団だと思う。だからこそ、ポジション争いも激しくなる。代表はそういう場所じゃないといけない。自分も次の3月にしっかり呼ばれるように、怪我をしないでやっていきたいですね」 板倉本人はまずはボルシアMGでの練習、試合に全力を注ぐ覚悟を口にした。そういうタフな日々の中で、日本代表の絶対的主軸、そして統率者であることを強く自覚し、人間的にも一回り二回り成長していってほしいものである。 [著者プロフィール] 元川悦子(もとかわ・えつこ)/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
元川悦子 / Etsuko Motokawa