歴史と文化を受け継ぐライブハウス、夜を彩るブルースとジャズの老舗【シカゴ音楽旅行記Vol.1】
世界有数の音楽都市、シカゴの知られざる魅力に迫る観光レポート連載【シカゴ音楽旅行記】(全4回)。第1回はライブハウス/ヴェニュー巡りの旅。あの大物バンドが愛したロックの拠点や、若者も踊るジャズとブルースの老舗ナイトクラブを取材した。この街の音楽シーンがもつ「豊かさ」の背景にあるものとは? 【写真ギャラリー】シカゴの代表的なライブハウスを一気見 * 「シカゴは両手を広げて『みんなウェルカム!』って感じ。音楽を楽しんで盛り上げていこうって空気に溢れているから、気軽に入っていきやすい」 日本と相思相愛のシカゴ新世代バンド、Frikoのベイリー・ミンゼンバーガーは本誌の取材でこんなふうに語っている。彼女が言うとおり、この街のヴェニューはどこも寛容で、「ライブが日常生活に溶け込む」というのはこういうことかと思い知らされた。 ライブ会場の充実ぶりには驚くばかりだ。Frikoも推薦していたSchubas Tavern、Empty Bottle、Beat Kitchen、Sleeping Village、Subterraneanといった小規模DIYヴェニューや、歴史的建造物をリノベーションしたThe Vic TheatreやThalia Hall、煌びやかなネオンが街のランドマークとなっているシカゴ劇場(The Chicago Theatre)といった情緒のある会場など目白押し。渡航前に公演スケジュールを調べる段階から興奮の連続で、日本でも人気のアーティストが毎日どこかしらに出演しているし、ローカルの名店を渡り歩くのも楽しみで仕方ない。
80年代から続くオルタナとクラブカルチャーの聖地
そのなかで今回は、シカゴを代表するライブハウス、Metroを案内していただく機会に恵まれた。鈴木誠也と今永昇太が所属するMLBシカゴ・カブスの本拠地、リグレー・フィールドが徒歩圏内。1927年竣工の古い建物で、高い天井やステージ周りに施されたモチーフはオペラハウスを連想させる。 メインフロアと2階バルコニーを合わせてキャパは1100人。白い看板も有名で、自身のスタジオ「エレクトリカル・オーディオ」をシカゴに構えるスティーヴ・アルビニが亡くなった際には、彼の名をここに記すことで追悼を捧げた。 1982年にR.E.M.のショーで開業して以来、Metroはシカゴや全米の才能を発掘し、オルタナティブな音楽シーンの聖地であり続けている。90年代前後はニルヴァーナらグランジ周辺を積極的にブッキング。オアシスやレディオヘッドなどUKや海外のバンドがアメリカ進出の足がかりとしてきた場所でもあり、少年ナイフ、ピチカート・ファイヴ、BOOM BOOM SATELLITES、コーネリアス、DIR EN GREY、BORIS、春ねむり、最近では坂本慎太郎など日本勢も出演してきた。 地元シカゴ勢にとってはホームグラウンドであり、リズ・フェア、フォール・アウト・ボーイ、チャンス・ザ・ラッパーをいち早くサポートし、チープ・トリックやウィルコといった大御所にも親しまれてきた。とりわけ縁が深いのがスマッシング・パンプキンズ。黄金期のメンバーによる初ライブ(1988年10月)と解散ライブ(2000年12月)を含めて40回近く出演しており、代表作『Siamese Dream』をリリースした1993年の公演は今も語り草になっている。 Metroが積み重ねてきた歴史は、会場内に飾られた公演ポスターからも伝わってくる。その多くは出演者のサイン入りで、音楽ファンとしてはたまらない光景である。こうしてレガシーを共有するのは、出演者や観客の見識と音楽愛を育むことにもつながりそうだ。 さらにMetroの地下では、80年代からシカゴのクラブカルチャーを支えるSmart Barに世界中からDJが集い、週末の夜を盛り上げている。「ハウスの生みの親」フランキー・ナックルズに愛され、デリック・カーターやザ・ブレスド・マドンナといった重鎮がレジデントを務める「音箱」で、筆者が訪れたときも極上のビートが鳴っていた。ライブ帰りに寄って、朝まで踊り明かすもよし。