「障害者スポーツは福祉ではない。競技だ」カンパラプレス・越智貴雄代表
障害のある人にこんなスポーツなんかさせて可哀想じゃないの
ところがです。2001年に東京・銀座のニコンのギャラリーで一週間、写真を展示したんです。自分のなかで渾身の40点を展示して「自分の感じたこととか、これで選手からもらったものを伝えられるかな」と思っていたんです。そこに、ある来場者に「障害のある人にこんなスポーツなんかさせて可哀想じゃないの」と言われてしまったんです。写真展を終えて達成感はまったくなくて、「自分はしっかり伝えられなかったのではないか」という悔しさが残ったんです。 そこから次のソルトレイクにも行き、流れるように2002年に大学を卒業して、新聞社でいろいろ勉強させてもらった。パラリンピックのことを伝えていこうと、大会に出向くようになり、「この選手を伝えたいな」という人が増えていったんです。当初は、義足や車椅子を見ると、どきっと心拍数が上がることがあったのですが、そのうちに、それは薄らいできて、本人の個性や競技のパフォーマンスが見えるようになってきました。 個性が見えるようになってくると、パラリンピアンってすごいなと思えることが増えてきました。道なき道を行く先駆者たちというのが分かってきたんです。誰も通ったことのない道を進んでるんです。例を出せばきりがありません。練習環境を探すのにも、たいていのスポーツジムでは断られちゃう。車椅子バスケットボールでも床が傷つくとかいう理由で。そんなことはないんですけど。 そんなときも一つ一つクリアにしていかないと、パラリンピックに出るための練習ができない。それを解決していく。2020年の東京パラリンピックが決まった今だからこそ環境は良くなってきていますが、昔は違いました。メディアでいうと、パラリンピックが取り扱われるのはスポーツ面ではなくて、社会面だったんです。福祉扱いだったんです。競技に対する社会の理解がありませんでした。 壁があれば乗り越えるかぶち破るかみたいな。そういう人たちがパラリンピアンだなと。そういうところに僕がひかれ続けた。その凄さというのか。知るようになって、伝えたい、伝えたいという気持ちになって、2004年にカンパラプレスを作ったんです。