「うちの母ちゃん返せ!」逮捕前夜にかかってきた遺族の電話は、警察の指示だった――逮捕のためなら遺族も使う捜査指揮官の覚悟と責任
---------- 30年を超える記者生活で警察庁・警視庁・大阪府警をはじめ全国の警察に深い人脈を築き、重大事件を追ってきた記者・甲斐竜一朗が明らかにする刑事捜査の最前線。最新著書『刑事捜査の最前線』より一部を連載形式で紹介! 【前編】聞き込みを軽んじた“初動ミス”! 「世田谷一家殺害事件」 前編記事<聞き込みを軽んじた“初動ミス”がコールドケースを引き起こす…! 20年経って、なお未解決「世田谷一家殺害事件」> ----------
重要性を増す捜査指揮
事件の解決を目指す警察にとって、現場の捜査員の動きと両輪をなすのが「捜査指揮」とされる。捜査の着手から容疑者の逮捕、さらに真相の解明までのプロセスをどう進めるか。証拠品や聞き込みによる情報の分析、体制の整備……。刑事部長や課長は指揮官として重い責任を担う。捜査の技術や制度が変わりつつあるいま、捜査指揮の重要性は一層増している。 大阪市住之江区南港南で1995年7月、岸壁近くの海中から頭部のない女性の胴体が見つかったバラバラ殺人事件。大阪府警捜査1課の名取調官だった滝谷秀男が、任意同行した容疑者の男から「秘密の暴露」を引き出し、数十分で完落ちさせ事件解決に導いたことは、書籍でも触れているが、実はその裏では捜査指揮官による“伏線”も張り巡らされていた。 切断された女性の胴体が見つかったのは7月7日。大阪水上署捜査本部が被害者の身元を大阪府摂津市の40代女性と特定したのは8月半ば。6月下旬に家を出たまま行方不明になり家出人捜索願(現・行方不明者届)が出されていたが、身元判明まで1ヵ月以上かかった。 女性の家族の話で女性にあるはずのホクロが、バラバラ遺体の胴体になかったことから、いったんは別人と判断されたためだが、捜査員の一人が年を取ってホクロが消えた実例を知っていると進言。女性宅で採取した毛髪を使って遺体とDNA型鑑定したところ一致した。 大阪府警捜査1課長は平日、午後零時40分から1課長室で定例の会見を開いていた。当時の1課長だった川本修一郎はその会見の場で、全国紙、通信社やNHKの担当記者(通称・1課担)らに被害者の身元が判明したことを伝えた上で、それを報じないよう「縛り」をかけた。この時点で不倫相手の50代半ばの男が容疑者として捜査線上に浮かんでいることも明かし、身元判明が報じられると警察の捜査が自身に及ぶことを恐れて男が何らかの証拠隠滅に走る可能性があるため、と説明した。 1ヵ月以上たった9月末、捜査1課が動く。川本は被害者の身元を公式に発表し、各社が一斉に報道する。翌日早朝、捜査本部の捜査員らは、気付かれないようにして男の自宅周囲に張り込んでいた。男が外に出て新聞受けから新聞を取り出すのを確認するためだった。この日の朝刊には「南港のバラバラ遺体事件 摂津市の女性と確認」「女性バラバラ遺体 摂津市の会社員」「摂津市の女性と確認 DNA型鑑定で一致」などと発表に基づく身元判明の記事が一斉に掲載されていた。 新聞を持って自宅に戻る男。捜査1課はやや時間を置いて男を自宅から任意同行した。取調室に入ってきた男の内心は動揺していたとみられる。当初は黙秘だったが、生い立ちや日常を調べ尽くした上で取り調べに臨んだ滝谷の訴えかけによって、男は犯行を悔い自白に転じた。その瞬間を逃さず、男に投げかけた「しんどかったやろ」の一言について、滝谷はこう説明する。「身元判明が発表されたことを報道で知り、動揺しているはずだから使った。『警察が来るかもしれないという恐怖感はしんどかったやろ』と」 だが、男が動揺していたのは、それだけが理由ではなかった。任意同行する前夜、殺害された女性の遺族が捜査1課から依頼を受け、男に電話をかけていた。「うちの母ちゃん返せ!」。このことは滝谷も知らされていなかった。