「うちの母ちゃん返せ!」逮捕前夜にかかってきた遺族の電話は、警察の指示だった――逮捕のためなら遺族も使う捜査指揮官の覚悟と責任
「前例がないやり方で、批判も出るだろう」
捜査の成否を大きく左右する「捜査指揮」。特に大量の捜査員を投入する殺人などの捜査本部事件は分業制で、さまざまな情報が指揮官に集約される。「捜査員の配置」「証拠の見極め」「情報の分析」「捜査手法の指示」――。さらに任意同行の時期や逮捕の判断は捜査の行方を決定づける。 大阪水上署のバラバラ殺人事件の場合、被害者の身元判明とほぼ同時に容疑者が浮上したものの、その後の行動確認や周囲の聞き込みでは有力な証拠が入手できなかった。取り調べで秘密の暴露を迫る「突きネタ」もない。 川本は滝谷の取調官としての資質と能力を高く評価していたが、「なんぼ有能な取調官でも、割れん(自供させられない)ことはある。割るだけの材料や環境を取調官にそろえてやるのが指揮官や。何にもなしで取調官に『割らんかい』いうても、そんなもん無理や」と後方支援の重要性を説く。 捜査指揮に当たる川本が、こうした状況を踏まえて決断したのが女性の身元公表と直後の男の任意同行だった。「ここまで伏せていた被害者の身元が報道されれば、男は捜査が及ぶ危険を感じ、必ず動揺する。不安な心理は取り調べで有利に働く」とその狙いを明かした。 任意同行の前夜に遺族から男に電話をさせる作戦も、取調官をバックアップするために川本が発案したものだった。「まったくネタがなく、精神的に揺さぶろうと電話をさせた。間違いなく心が揺れる。その確信はあった」と言う。 結果は奏功したが、こうした川本の独自の手法に対し、警察庁のキャリアで大阪府警の刑事部長だった知念良博は事前に報告を受けた際に「そこまでやるのか」と驚きを隠さなかった。川本自身も「前例がないやり方で、批判も出るだろうとは思っていた。適法かどうか議論にはなるだろう」と認める。 一方で事件の解決に向けた捜査指揮については、あらゆる局面で“最善の判断”が求められるとし「常に先頭に立ち、知恵を絞る姿勢が必要だ」と言い切る。そしてここでも使うのが「指揮責任」という言葉だ。 「指揮官は自らの捜査指揮そのものに責任を負わねばならない。取調官は最前線で戦っている。みんなでバックアップして割れる状況をつくってやるのは当然。いまの指揮官にはそういう配慮が全然ない」 大阪水上署のバラバラ殺人事件では大阪地裁が1997年2月、男に懲役12年の実刑判決を言い渡した。川本は振り返る。「指揮責任とは、捜査指揮には覚悟と責任が伴うという当たり前のことを言っているにすぎない。捜査指揮官の最大の仕事は、自らの捜査を自ら検証することだ」
甲斐 竜一朗(共同通信編集委員)