【東日本大震災】「わが子に土なんてかけられない」 津波で3人の子を失った母のあまりに深い悲しみ #知り続ける
東日本大震災の直後から東北で暮らし取材を続けるルポライター・三浦英之氏が出会った木工作家の遠藤伸一さん夫婦。前編では子どもの死に責任を感じ、「もう生きている意味がない」とまで苦しんだ遠藤さんの「その日」をお伝えした。 【写真を見る】がれきの前で呆然と立ち尽くす女性 【実際の写真】
中編では、主に妻の綾子さんの視点による被災からわが子との悲しい再会までをお伝えする。三浦氏の著書『涙にも国籍はあるのでしょうか 津波で亡くなった外国人をたどって』から一部抜粋・再編集してお届けする。【文中敬称略・本記事は前中後編の中編です】 ***
2晩を市役所の椅子で過ごす
大地が激しく揺れ始めたとき、遠藤の妻・綾子は看護助手として勤務する高台の病院で、患者の入浴作業を手伝っていた。院内の器具がガシャガシャときしみ、患者が泣き出したり、失禁したりし始めていた。断水に備えて容器に水をためようとしていたとき、ラジオが津波警報を伝えた。 「沿岸部に津波警報が発令されました。海の近くにいる人は──」 家族と連絡を取りたかったが、あいにく携帯電話が手元になかった。 しばらくすると、上司から帰宅許可が出たため、綾子は高台を降りてJR石巻駅へ向かった。すると不思議なことに周辺の地面がうっすらと「濡れ」ているのに気づいた。 「何、これ?」 地面の「濡れ」はすぐさま「水たまり」へと変わり、やがて小さな「波」となって周辺の市街地を埋め尽くし始めた。 「津波?」 水位がどんどん上昇して綾子の膝下ぐらいに達したとき、彼女は見知らぬ男性に腕をつかまれ、石巻市役所の止まったエスカレーターから上階へと引き上げられた。 市役所内はすでに大勢の避難者でごった返していた。全身ずぶ濡れの人や、ケガをしている人もいる。 子どもたちは大丈夫だろうか──。 心配だったが、携帯電話には「子どもたちは体育館に避難しています」という小学校からの一斉メールが入っていた。 石巻市役所周辺の冠水が引かなかったため、綾子は結局2晩を市役所の椅子で過ごした。