【東日本大震災】「わが子に土なんてかけられない」 津波で3人の子を失った母のあまりに深い悲しみ #知り続ける
震災3日目の朝、自家発電で視聴可能になった市役所内のテレビに自宅近くの南浜地区の映像が映った。一帯に津波が押し寄せたらしく、家屋はどれも原形をとどめていない。自宅がある渡波地区も相当な被害を受けていると覚悟した。 「渡波の自宅に戻りたいのだけれど……」 そう懇願すると、市役所にいた男性に「自己責任で戻ってくれ」と告げられた。 近くにいた別の男性が彼女に聞いた。 「渡波のどこ?」 「長浜町です」 そう答えると、男性は天を仰ぎながら「希望は捨てないで」と声を潜めた。 市役所を出ると、ほとんどの道ががれきで覆われていたため、綾子はトンネルを抜けて避難所になっていた渡波小学校へと向かった。
知らされた子供たちの死
体育館に到着すると、誰も彼女と目を合わせようとしない。 「綾子さん、よく聞いて」 遠い親戚が近づいて来て言った。 「花ちゃんと奏ちゃん、ダメだった。侃太(かんた)さんはまだ見つかっていない……」 彼女はその日本語で語られたはずの言葉がまったく理解できなかった。 「侃太と奏は小学校にいたはずじゃ……」 近くにいた男性に連れられて、住民が避難しているという渡波保育所へと向かうと、たき火のまわりで夫が待っていた。 夫は涙を流しながら妻に謝った。 「ごめん、花と奏、助けられなかった……」 周囲に抱きかかえられるようにして保育所の2階へと上ると、愛する2人の娘が保育士のエプロンを掛けられて横たわっていた。 まるで誰かにほおを突然ひっぱたかれたような気分だった。 痛みも怒りも感じない。涙さえも出ない。 「何で、何で……?」 口ごもりながら意識を必死につなぎとめた。 「だって、侃太と奏は小学校にいたはずでしょう?」 夫に刃物のような質問を向けた直後、記憶の一部を失った。
重機になって、息子を助けたい
翌日、綾子は一睡もできないまま保育所の床で朝を迎えると、夫と一緒に自宅の周辺へと向かい、まだ行方のわからない長男の侃太を捜した。夫の母である恵子が座っていた自宅周辺を中心に捜すものの、無数のがれきに覆われて手がつけられない。 綾子はいっそ自分が重機になってしまいたかった。そうすれば、愛する息子をこの冷たい泥の中から救い出してあげられる。 「侃太なら、どこかに走って逃げていてくれるかもしれない」 夫婦はそんな期待も心のどこかに抱いていた。引っ込み思案だった侃太はとりわけ足が速かった。徒競走で1番になれるかもしれないと、父子は毎朝近くの堤防で駆けっこの練習をしていた。 しかし1週間後、そんな夫婦の小さな希望も裏切られてしまう。 保育所に自衛隊員が訪ねてきて聞いた。 「ここに恵子さんという方はいませんか?」 津波で壊滅した家屋の近くに恵子宛ての年賀状が散乱しており、近くで小学生とみられる男児の遺体が見つかったという。 綾子が保育所を飛び出して自衛隊車両に駆け寄ると、荷台に侃太が寝かされていた。 「うっ、うっ、うっ」 絶望的な気持ちに打ちのめされながら、綾子は避難所の住民が手渡してくれた貴重なきれいなタオルで息子の顔を必死に拭いた。 侃太の遺体は、震災後に臨時の遺体安置所となった石巻市の旧青果花き地方卸売市場へと搬送された。