「お前、何やねん」京都サンガ中野瑠馬は怒られ、イジられ…。育成プロジェクト大学経由初プロデビューの裏側【コラム】
明治安田J1リーグ第21節、湘南ベルマーレ対京都サンガF.C.が6月30日にレモンガススタジアム平塚で行われ、前半の1点を守り切り1-0でアウェイの京都が勝利した。この試合でプロデビューを果たした中野瑠馬だったが、実は試合前日に曺貴裁監督から怒られていたという。(取材・文:藤江直人) 【2024明治安田Jリーグ スケジュール表】TV放送、ネット配信予定・視聴方法・日程・結果 J1/J2/J3
⚫︎待ち焦がれたデビュー戦「緊張している場合じゃなかった」 ボールに触ったのはたった一度だけだった。自陣の右サイドに弾んだこぼれ球に素早く反応した、京都サンガF.C.のMF中野瑠馬は左足で思い切りクリア。ボールは湘南ベルマーレのゴール前まで飛んでいった。 時計の針はこのとき、8分が表示された後半アディショナルタイムをすでに回っていた。キックオフ前の時点で、J1リーグ戦18位の湘南に対して京都は19位。勝ち点差わずか1ポイントで迎えたシックスポイントマッチは中野のクリアから約1分後に、京都の1-0の勝利とJ1残留圏の17位浮上とともに幕を閉じた。 立命館大学の4年生で、来シーズンからの京都加入が決まっている中野は、両足がつってプレー続行が不可能になったFW一美和成に代わって、アディショナルタイムに入った直後の91分に投入された。 中野は3年生に進級する直前の昨年3月に2025シーズンの京都加入が内定。同時にJFA・Jリーグ特別指定選手として京都に登録されたが、柏レイソルとの前節まで一度もベンチ入りを果たせていない。待ち焦がれたデビュー戦をボールタッチ一回と、あとは一度のスローインで終えた試合後。第一声をこう弾ませた。 「あまり緊張はしなかったですね。状況が状況だったので、緊張している場合じゃなかったです」 ホームのサンガスタジアム by KYOCERAに柏を迎えた26日の前節。京都は2-1で迎えた後半アディショナルタイムの97分に痛恨の同点ゴールを喫して引き分け、2試合ぶりの白星を逃していた。 中野が言及した「状況が状況だった」とは、京都の1点リードで迎えた同じ試合展開を指していた。 ⚫︎中野瑠馬デビューの裏側「実は昨日の練習でまったくよくなくて…」 「この前のレイソル戦で追いつかれていたし、そういう時間帯に自分が投入された意味が何かと言えば、役割がはっきりしていました。なので、自分の役割をまっとうすることだけに集中しました」 一美と同じ3トップの右を主戦場にしながら、とにかく前後左右に動き回った。託されたタスクに照らし合わせれば、ボールタッチが一度だけに終わっても気にしない。勝利を告げる池内明彦主審の笛を、敵地レモンガススタジアム平塚のピッチの上で聞いた心境を、中野は「やはり気持ちがいいですね」とこう続けた。 「自分はフレッシュなので、守備で何回も何回も前から追う。そういうところを意識していました」 ここで素朴な疑問が頭をもたげてくる。京都を率いる曺貴裁監督は、公式戦の出場が昨年3月のガンバ大阪とのYBCルヴァンカップ・グループリーグの1試合だけだった中野を、なぜ湘南戦に臨む遠征メンバーに抜擢したのか。しかも、指揮官は湘南後の公式会見で中野に対してこう言及している。 「実は昨日の練習でまったくよくなくて、メンバーを選ぶなかで少し迷いがありました」 引き分けに終わった柏戦で、1点をリードしていた京都は79分からそれまでの4バックを3バックにスイッチしていた。決して守り切れ、というメッセージを込めた采配ではなかったと曺監督は振り返る。 「柏戦でも『ボールを奪いにいくな』と言ったわけじゃないけれども、勝ちたい気持ちが先行しすぎて、選手たちの意識のなかでは後ろでボールを跳ね返すプレーがメインの仕事になってしまった。その点を反省して、今日は努力がしっかりと評価されるような体系を組もうという狙いのなかで若い選手たちも使いました」 ⚫︎「ちょっと怒られて」「選ばれたからにはもう他のことは言っていられない」 湘南戦では最後までスタートの[4-1-2-3]を貫いた。迎えた75分に最初の交代カードが切られる。FW原大智が24分に決めた先制点をアシストしていたFWマルコ・トゥーリオに代わって、アカデミーから昇格して2シーズン目の19歳、FW平賀大空(そら)が投入され、一美と左右を入れ替えた。 中野は3人目の交代だった。もっとも、たとえ一美の両足がつらなくても、デビューを果たしていたはずだ。前から相手ボールを奪いにいく動きを繰り返しながら、結果として1点を守っていく。タスクを確実に遂行できると信じたからこそ中野を初めてベンチ入りさせ、前節のトラウマが残る時間帯でデビューさせた。 曺監督が「よくなかった」と振り返った、湘南戦へ向けた前日練習を中野もこう振り返る。 「何ていうんですか…プレーというよりも、メンタル的にネガティブになっていたところを(曺監督から)ちょっと怒られて。今日はそういうものを考える暇もありませんでしたけど」 だからこそ、遠征メンバーに名を連ねた心境を、身長167cm体重64kgのアタッカーはこう振り返る。 ⚫︎一度は逃したトップチーム昇格のチャンス 「自分はまだ正式には入団していないんですけど、遠征メンバーに入っていない選手もいるなかで、選ばれたからにはもう他のことは言っていられない。チームの一員として戦わなきゃいけない、と」 京都のU-18に所属していた中野は、トップチームへの昇格がかなわなかった。卒団後に立命館大へ進学したのは、京都が2006年にスタートさせたスカラーアスリートプロジェクト(SAP)の対象選手だったからだ。 同プロジェクトの上限は1学年につき10人。原則として全員が進学校である立命館宇治高に入学し、さらに『RYOUMA』と命名された選手寮に入寮。入学金と授業料は奨学金として学校法人立命館が、食費を含めた寮費は京セラをメインスポンサーとする京都が全額負担するシステムがSAPとなる。 SAPのもとでは、たとえトップチームへ昇格できなかったとしても、成績次第で立命館大学への内部進学を可能とした。サッカーで夢をかなえられなかった場合も考慮して、親が大切な子どもを預けられる環境を整えたのは京セラの創業者で、京都の会長および名誉会長を務めた稲盛和夫氏(故人)だった。 昨シーズンからキャプテンを務める、パリ五輪世代のMF川﨑颯太もSAP出身の一人。卒団後に京都のトップチームへ昇格し、同時に立命館大の大学生との二刀流にも挑み続けて今春に卒業した。 そして、中野も新たな歴史を切り開いている。トップチームへの昇格を逃したSAP出身者のなかで立命館大へ進学し、サッカーを続けながらさらに心技体を磨き、京都とのプロ契約を勝ち取った最初の選手になったからだ。昨シーズンの開幕前のキャンプに参加し、内定を勝ち取った中野の現在地を曺監督はこう語る。 ⚫︎デビュー戦で言われた「お前、何やねん」 「彼の持っている力、選手としての能力というものも含めて今日起用しましたけど、ピッチに立ったのは10分くらいだったと思いますが、非常によくボールに食らいついていました。スピードとコーディネーションが非常に高い選手なので、これからのサンガを支えていくような選手に成長してほしいと思っています」 勝利に沸く試合後のロッカールーム。中野はチームメイトたちからイジられていた。危険を察知して、敵陣から自陣まで長い距離を戻ってきた92分。左角あたりからペナルティーエリア内へドリブルで侵入してきた湘南のルーキー、FW石井久継を中野が背後から追走したときに石井が倒れてしまったからだ。 敵地のスタンドからは中野のファウルを指摘し、PK奪取を期待する大歓声がわきあがった。しかし、2人の攻防を間近で見ていた池内主審は笛を吹かない。とたんにブーイングに変わったなかで、中野は「僕個人としては『大丈夫や』と思っていましたけど、それでもちょっと焦りました」と苦笑いを浮かべた。 「(石井に)当たっていないので、PKとちゃうんですけど…みんなからは試合後に『危なかった』とか『お前、何やねん』とかめちゃ言われました。自分としては落ち着いてプレーできていたんですけど」 実績のない若手だろうが相手としっかり戦えて、チームの力になると判断すれば、周囲からは大抜擢に映る選手起用を曺監督はまったくためらわない。湘南を率いた7年半の日々で実践され、遠藤航らを成長させてきたスタンスは2021シーズンから指揮を執る京都でも貫かれ、いままさに中野も組み込まれた。 来シーズンから正式に加入する中野のプレースタイルを、京都は次のように伝えている。 「抜群のスピードを生かしたドリブルと、裏への抜け出しでゴールに直結する仕事ができるドリブラー。機動力と俊敏性を兼ね備え、攻守にアグレッシブなプレーをするアタッカー」 アグレッシブなチェイシングで京都を助け、めぐってきたチャンスに応えた中野は「ここから結果を残していきたい」と、今度は自らの体に搭載された武器で京都の力になる姿を早くも思い描いている。 (取材・文:藤江直人)
フットボールチャンネル