「友だちの輪」誕生のきっかけにあの世界的巨匠 ハプニングの宝庫「笑っていいとも!」の魅力
隙あらば参加してやろうという観客の前のめりの姿勢、積極さが、このフレーズを生んだのである。その意味で、「友だちの輪」は、タモリと観客の一種の共同作業によって生まれたものだった。 このようなことが起こり得たのは、『いいとも!』という番組そのものが、ハプニングの起こりやすい雰囲気を持っていたからだろう。 『いいとも!』では、リハーサルはほとんどなく、ぶっつけ本番だった。番組前のタモリは、段取りの確認なども他人に任せ、ずっとスタッフと雑談をしていたという。一見お気楽にも思われるが、それは、あらゆる面において安易な予定調和を嫌うタモリとスタッフのポリシーの表れでもあったはずだ。
■ハプニングの宝庫 「テレフォンショッキング」は、『いいとも!』という番組を貫くそんな〝反-予定調和〟の精神を象徴するコーナーだった。 もちろんそこには、芸能人や著名人の意外な交友関係がわかるという楽しみもあった。出演を祝って電報が届いたり、大きな花輪が贈られたりする。 その飾られた花をタモリが「○○さんから届いてます」というように目についた贈り主にふれることもある。そうでなくとも、画面に映る花を見て誰から届いているのかを見るのも、視聴者の楽しみのひとつだった。
また、電話をかけた先が仕事の現場であったりすると、そこに居合わせた共演者が電話口に出て仲の良さが垣間見えたりするのも、ちょっと得した気分になった。 だがトークの場面では、和気あいあいとした雰囲気ばかりでなく、時には緊張が走ることもあった。 たとえば、1984年2月13日にレギュラー出演する以前の明石家さんまが出たときに紹介したのが、ミュージシャンの小田和正だった。 当時のタモリは、フォークやニューミュージックを「暗い」「軟弱」と言って盛んに批判していた。さんまはそれを承知のうえで、小田を紹介したのである。翌日のトークは、やはりどこか手探りの状態のまま、お互いぎこちない感じで進んだ。