脱炭素化が深刻な食糧危機をもたらす?温暖化対策の“大きすぎる代償”
● パンも鶏肉もトマトも 化石燃料なしに大量生産できない 作物の収量を増やすのを妨げるこの窒素の障壁がようやく少しずつ取り除かれたのは、19世紀に初の無機窒素肥料となるチリの硝酸塩が採掘され輸出されたときだった。やがてこの障壁は、1909年にフリッツ・ハーバーがアンモニアの合成法を発明し、それが急速に商業化されたときに、決定的に打ち破られた。 合成アンモニアは1913年に初めて出荷されたが、その後、製造量はゆっくりとしか増えず、やっと窒素肥料が広く施されるようになったのは、第2次世界大戦後のことだった。 1960年代に導入された小麦と米の新しい高収量品種は、合成窒素肥料なしには潜在収量を実現させることはできなかった。そして、「緑の革命」と呼ばれる生産性の飛躍も、作物の改良と窒素の投入量の増加の組み合わせがなければ、起こりえなかっただろう。 1970年代以降、窒素肥料の合成は、農業エネルギー補助のうちでも間違いなく際立っていたが、この依存の全容は、さまざまな一般的食品の生産に必要なエネルギーを詳しく眺めてみることで初めて明らかになる。 私は、例として使うために、栄養別の摂取量の多さという基準で、3種類の食品を選んだ。1つはパンで、これは何千年にもわたってヨーロッパ文明の主食だった。2つ目は鶏肉だ。豚肉と牛肉は、食べるのを禁じている宗教があるので、世界中で好まれている唯一の肉が鶏肉だからだ。そして、3つ目がトマトであり、年間の生産量でトマトを凌ぐ野菜はない(ただし、植物学の分類では、トマトは果実だが)。今やトマトは畑だけではなく、しだいにビニールやガラスで覆われた温室でも栽培されるようになっている。 これら3種の食品は、それぞれ異なる栄養上の役割を担っている。パンは炭水化物を、鶏肉はその完璧なタンパク質を、トマトはビタミンCを摂取するために、食べられる。 だが、大量の化石燃料の補助がなければ、これほど多くを、これほど確実に、これほど手頃な値段で生産することはできないだろう。いずれは、食料生産の仕方は変わるだろうが、今のところ、そして今後もしばらくは、化石燃料に頼らなければ世界の人々を養うことはできない。
バーツラフ・シュミル/柴田裕之