「生きてるのが地獄」立花理佐が大腸がんで感じた絶望
「生きてるのが地獄」立花理佐が大腸がんで感じた絶望
大腸がんは、40~50歳代から発症しやすく、早期発見・早期治療が鍵とされていますが、今回お話しをうかがった立花理佐さんは、異変に気づきながらもすぐには受診できなかったそうです。 今回は、つらい治療や手術を終えて「今はすごく元気」という立花さんをお招きし、大腸がんの初期症状から受診、告知、ご家族の反応、そして治療や手術の経験などを消化器外科医の浜野徹也先生と語っていただきました。 【動画で見る】「あの時気づいていれば」と後悔。見落としたくない大腸がんの危険な初期症状
「市販薬で様子を見ていた」 大腸がんを疑う危険な症状と便の特徴
浜野先生 大腸がんの手術から3年が経過したようですが、現在の体調はいかがですか? 立花さん すごく元気です! 体力づくりのために毎朝散歩するようになり、朝ごはんを食べています。 浜野先生 病気をきっかけに、ですか? 立花さん そうですね。朝歩くとお腹が空いて、朝ごはんを食べたい! と思うようになりました。こんな感覚は子どもの頃以来かもしれません。 浜野先生 立花さんが体調に異変を感じたのは、コロナの時期だったと伺いました。 立花さん はい。お腹の痛みがありましたが、社会全体が「受診控え」だったのと、市販薬で症状が治っていたこともあり、受診せずに様子をみていました。 浜野先生 便の症状はなかったですか? 立花さん ありました。血も混じっていましたし、一度トイレに行っても、またすぐに行きたくなりました。 ずっとトイレにへばりついていて、家族にも心配・迷惑をかけたと思います。 浜野先生 コロナの時期はがん検診の受診率も下がりましたし、立花さんのように症状があっても受診を控えてしまう方も多く、我々も頭を悩ませていました。 大腸がんの症状は、立花さんも経験された血便や、がんが浸潤していくと腸が狭くなったりすることにより生じるしぶり腹などがあり、さらに肛門に近い部分のがんだと排便時に肛門付近に痛みが出たりします。 ほかにも、これまでなかった下痢や便秘が続く場合なども、大腸がんを疑うサインです。 検診は受けていましたか? 立花さん 受けていませんでした……。以前、痔の診断を受けたことがあり、その症状がぶり返したのかなと思っていました。 お友達からも「検診に行こうよ」と誘われてはいましたが、大腸カメラ(大腸内視鏡検査)は痛いとか、前日に下剤をたくさん飲むと聞くと「忙しいし今度でいいや」となってしまい……億劫だったのと、怖くて中々行けませんでした。 でも、内視鏡検査は実は痛くないとも聞きました。 浜野先生 そうですね。検査の痛みは様々な要因によって生じてしまう可能性はあるのですが、施設によっては鎮静剤や鎮痛剤を使用した検査を提供できます。痛くない大腸内視鏡検査を提供できるように、我々ももっと努力していかなければならないと思います。 内視鏡検査が怖い、時間がないという方には「便潜血検査」という、便中の微量な出血を調べる検査もあります。一般的ながん検診や人間ドックなどで行われている大腸がん検診なのですが、便を検査するだけなので比較的簡便に受けられます。 立花さん 私の場合は、まず痛みが出て、それから血便に気づくようになりました。 母も大腸がんだったのですが、私のがんは遺伝だったのでしょうか? 浜野先生 家族性大腸腺腫症やリンチ症候群といった原因遺伝子が解明されている遺伝性大腸がんは、大腸がん全体の約5%と決して多くはないですが、はっきりとは解明されていないものも含めると、30%くらいの大腸がんが遺伝と関連していると言われています。 大腸がんは50代から増加しはじめ、高齢になるほど増えていきますが、遺伝性大腸がんの方は早い方で10代から発症する報告もあります。 お母さまは、おいくつで発症されたのですか? 立花さん 60歳の時にがんが見つかり手術したのですが「手の施しようがない」と、切除できずに閉じたらしく、そのままあっという間に亡くなりました。 母も私と同じで、市販薬で様子を見ていたので、気づくのが遅れたようです。 浜野先生 その状況だと、おそらく50代から発症していたと思われますので、家族性大腸腺腫症やリンチ症候群ではなかったとしても、遺伝的な要因があるかもしれませんね。 立花さん 息子にも検診を勧めないといけないですね。 浜野先生 そうですね。息子さんも、40歳を過ぎたら大腸内視鏡検診を受けたほうが良いと思います。 立花さんが受診を決意したのはどういったきっかけですか? 立花さん それも、コロナの影響です。 主人が飲食店をやっているのですが、コロナで営業できなくなり時間ができたので、ほぼ無理矢理病院に連れていかれました。 そこから1週間くらいで、大腸がんと診断されました。 浜野先生 どのような気持ちでしたか? 立花さん さらっと「がんですね」と言われたので、その瞬間はショックというより、どこか人ごとのような感じでした。軽いがんなのか、重症なのか、どうなの……? と考えていたくらいです。 でも、車で待っていた主人に「がんだって」と伝えたら急に現実味が湧いてきて、車の中で泣いてしまいました。主人は黙って、知らないふりをしてくれていました。 そこから専門病院に移り、検査をして治療方針が決まっていきました。 浜野先生 どのように治療されたのですか? 立花さん まず抗がん剤治療と放射線治療をしてから手術、その後、再び抗がん剤と放射線の治療を行いました。 浜野先生 直腸がんの治療は、肛門からがんまでの距離がとても重要になってきます。あまり肛門に近いと、切除した時に肛門を残せず、人工肛門になってしまう可能性があるからです。 それを回避するために、手術前の治療で出来るだけがんを小さくします。立花さんのがんは肛門に近かったのかもしれませんね。 立花さん そうだと思います。 内視鏡検査の時も、肛門が狭くなっていて内視鏡のスコープを通すのが難しかったようで、麻酔をしていたのに、痛くて痛くて大騒ぎしました。 浜野先生 治療の副作用はどうでしたか? 立花さん 手術前の抗がん剤治療ではあまり感じず、少し気持ち悪くなったくらいです。 ただ、放射線治療の副作用で肛門周囲がただれてしまい、排便のたびに激痛が走りました。トイレの壁を叩きながら痛みに耐えていました。 浜野先生 気持ち悪くなってしまう方は多いですね。 立花さん 食欲も少し落ちましたが、先生から「手術に向けて体力をつけてください」と言われたり、息子からも「もっと食べなよ」と言われたりしたので、心配をかけないように意識してたくさん食べていました。 浜野先生 ちなみに、お子様にはいつ話されたのですか? 立花さん がんだと言われたその日ですね。 病院から帰宅し、家でゲームをしていた息子に、主人が「ママ、がんだって」と普通に伝えていました。当時高校1年生だった息子も「うん」って感じで、その時はあっさりしていました。 私が入院中に、2人でたくさん話しをしたみたいですけど。 浜野先生 ご主人なりに、考えた結果なのでしょうかね。 立花さん そうかもしれませんね。 病院で「子どもへの伝え方」などのお話しもしていただき「病院って、こんなことまでケアしてくれるのか!」と驚きました。