【古代史ミステリー】なぜ、『古事記』と『日本書紀』は内容が異なるのか?
日本最古の史書である『古事記』と『日本書紀』は、同じ時代に編纂されたと考えられている。しかし、内容にはいくつかの違いがあり、現在でも研究が続いている。同時代の史書でありながら、なぜ内容が異なるのか? ■国家的大事業の裏側 『古事記』と『日本書紀』は現存する最古の歴史書である。ともに、天武天皇の時代に編纂が始められ、8世紀の初め、すなわち、奈良時代の初期に成立している。 歴史書の編纂は国家的な大事業であり、大変な負担であったと思われる。それにもかかわらず、2種類の歴史書の編纂がほぼ同時並行で進められているのは、それなりの理由があったと考えざるを得ない。 『古事記』と『日本書紀』について具体的にみてみると、まず、『古事記』は、上巻・中巻・下巻の3巻からなっている。このうち上巻すべては神代(じんだい)にあてられている。つまり、神話の時代ということになる。したがって単純にいうと『古事記』の3分の1は神話ということになる。 現代の感覚では、神話が歴史といわれると違和感があるであろうが、古代人にとっては神々の活動は歴史なのである。したがって中巻から人代(じんだい)となり、最初に登場するのが初代天皇とされる神武天皇ということになる。 そして、下巻の最後を飾るのが初の女性天皇の推古天皇であり、紀伝体で叙述されている。紀伝体は中国の叙述形式であり、皇帝の歴史を中心に(本紀)、各々の時代の家臣の功績を記す(列伝)というもので、『古事記』はさほど厳密ではないが、紀伝体を用いている。 これに対して、『日本書紀』は全30巻から成っていて、巻1と巻2が神代となっている。つまり、全体の15分の1が神代となり、「古事記」と比較すると割合が低いように見受けられる。たしかに数としてみれば、『古事記』の3分の1よりはかなり少ない感じがするが、全体の15分の1が神話というのは、決し神代が軽視されているとはいえないであろう。 『日本書紀』の巻30を飾るのは持統天皇である。いみじくも『古事記』の最後が推古であり、この点に注目すると、「古事記」も『日本書紀』も最後は女帝で終わっている。この点は興味深い点ではあるが、特段の理由をみつけることは困難であり、偶然とせざるを得ないであろう。 『古事記』の叙述形式が紀伝体であるのに対して『日本書紀』は編年体が採用されている。編年体は、出来事を古い年代順に記していく方式であり、律令政府は、『日本書紀』以降の『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本に後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』といった六国史をすべて編年体で叙述している。 ■別の伝承を伝える日本書紀の「一書」 また、『日本書紀』は、本文のあとに「一書」として別伝承を記載している箇所があり、特に神代に多くみられると いう点が『古事記』にはみられない特徴である。 これらのことから『古事記』と『日本書紀』は類似の要素もあるが、『古事記』が神代を重視し、天皇家の出自正しさを強調しているのに対して、「日本書紀』は「一書」の存在からもわかるように、豪族たちの神話も取り上げ、国家の歴史を述べようとしていることがわかる。 監修・文/瀧音能之 歴史人2024年4月号「古事記と日本書紀」より
歴史人編集部