日本の「おばさん」に共感 中国一人っ子世代の女性たち
中国でフェミニズムや女性の生き方に関する日本発の書籍が注目されている。ジェンダー研究の第一人者で社会学者の上野千鶴子さんの著作が火付け役となり、女性として経験した苦しみや喜びを詩やエッセーに昇華してきた詩人の伊藤比呂美さん(68)の作品も読者の支持を得ている。 【写真】中国の読者と交流する伊藤比呂美さん なぜ海を越えて女性同士の共感の輪が広がっているのか。その理由を知りたいと、おりよく北京市で開かれた伊藤さんの講演会に足を運んだ。 ◇詩人、伊藤比呂美さんの「閉経記」が人気 伊藤さんは1980年代の女性詩ブームをけん引し、これまで性愛や子育て、親の介護などの経験を創作活動の原動力にしてきた。 50代半ばで書いたエッセー集「閉経記」が2022年に中国で翻訳出版されると「年を重ねることを怖がる必要はないと教えてくれた」などと評判を呼び、大手書評サイトの年間ランキングで上位に入った。24年には別のエッセー集も中国で刊行される。 伊藤さんは3月半ば、国際交流基金北京日本文化センターの招きで北京市や上海市などを回り、読者と交流し、大学で講義をした。どの会場でもサインや握手を求めるファンで行列ができた。講演の合間に取材に応じた伊藤さんは「学生たちが『人生が変わりました』『救われました』と言ってくれて本当にうれしかった」と目を輝かせた。 伊藤さんの目には、日中の読者層の違いが新鮮に映ったようだ。「中国では若い読者のエネルギーをすごく感じました。私の日本での読者は40代より上の世代で、『閉経記』も20代はまず読みません」 読者の本音に触れ、頭に描いていた中国の女性像を見直す機会にもなったという。「中国の女は、男と同格に何でもできるイメージがあり、羨ましいと思っていました。でも、(実際は)日本とあまり変わらないかもしれない」 こうした伊藤さんの「発見」は、中国におけるジェンダー問題の現状を読み解く手がかりになると感じた。 ◇「女性は天の半分」でも現実は…… 確かに、中国では49年の建国以来、女性の労働参画が推し進められた。「女性は天の半分を支える」という政治スローガンに象徴されるように、女性が仕事を持つことが当たり前となり、夫婦の共働きがいち早く定着した。 だが、現実には、男性優位の古い社会構造が根深く残っている。世界経済フォーラムが発表した23年版の男女平等度ランキング(対象146カ国)では、中国は107位。日本の125位よりは上だが、低い位置にとどまる。 日本と同様、政治指導者の顔ぶれは男ばかりで、家事や子育ての負担も男女平等とは言えない。大手求人サイトの調査では、半数を超える女性が「職場で性差別にあった」と答えた。ジェンダー平等を訴える市民運動は、言論統制の対象にもなり得る。 伊藤さんの講演を聴きに来た女性たちも「職場の昇進や昇給が男性より遅い」「キャリアより子育てを優先するよう暗に求められる」などの生きづらさを抱えていた。 一方で、こうした状況に異を唱える若い女性も着実に増えている。北京大の博士課程で学ぶ李さん(27)は「男兄弟が優先されて進学できなかった母の時代と違い、私たちは男性と同じ教育を受け、自立意識が強くなった。性別による決めつけに抵抗し、自分の生き方を決める権利があると考えています」と語った。 李さんのようにフェミニズムに関心を寄せる20~30代の女性は「一人っ子政策」の下で生まれ、性別に関係なく親の期待を一身に受けて育ってきた。高学歴化が進み、性暴力を告発する「#MeToo運動」のような外国の動きにも敏感な世代と言える。 メディア業界で働く30代女性は「『中国は男女平等が進んだ国』と教えられてきたのに、社会には差別が潜んでいる。そんなモヤモヤした思いを、伊藤さんや上野さんが代弁してくれた」と話した。 ◇世代断絶で難しい「お手本」探し こうした一人っ子世代が自国ではなく、日本女性の経験に生き方のヒントを求める背景には、親世代との価値観の断絶があるようだ。 過去半世紀の急速な経済発展によって中国人の生活スタイルや考え方は激変した。30代の女性会社員は「両親は毛沢東の時代に生まれ、私とは全く違う世界の住民のようです。生き方のお手本が欲しくとも、中国でそれを探すのは難しい」と感じていた。 「閉経記」の中国語訳を手がけた翻訳者の蕾克さん(52)は「伊藤さんは実体験をさらけ出して『私はこう生きてきたから、みんな怖くないよ』と言ってくれる。母親のような上から目線とは違う、本音の語り口が人気を集める理由でしょう」と指摘した。 興味深いことに、世界各国で出版されている伊藤さんの著作は、欧米では詩集のような文学的作品が翻訳され、中国や韓国ではエッセー集が好まれる傾向があるそうだ。男性優位の家族観を含め文化的に近い東アジアの女性同士だからこそ、ありのままの体験や感情を共有しやすいということかもしれない。 日本留学経験がある30代女性は「日本は欧米より身近でありながら、違う国でもある。だから、伊藤さんの言葉がすんなり心に届く気がします。同じ中国人の体験談だと、こちらも苦しくなるし、客観的に受け止めにくいような気がします」と話した。そんな適度な距離感を「母親ではなく、おばさんのような存在」と表現した読者もいた。 伊藤さんは「面と向かうのではなく、隣に座って同じ方向を見つめる。誰もがそんな『おばさん』を欲しがっているのでしょう。一人で生きるのはつらいですからね」とうなずいた。寄り添うようなそのまなざしに、異なる世代、似た文化、同じ生きづらさの中で奮闘する中国の読者への温かい共感が込められている気がした。【中国総局長・河津啓介】