中国戦勝式典で話題「抗日戦争」とは? 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語
9月3日に中国が「抗日戦争勝利70年」を記念する式典を開催します。天安門広場で行われる大掛かりな軍事パレードなど大掛かりなもので、習近平政権が並々ならぬ力を入れています。そこで、中国が喧伝する「抗日戦争」について、どんな戦いで「誰が戦ったのか」について考えてみました。 【写真】8月15日「終戦の日」どんな日なのか?
「抗日戦争」は誰が戦った?
1937年7月7日、北京にある盧溝橋という橋の近くで演習中の日本軍が何ものかによって射撃されました。なぜ中国の首都に日本軍がいたかというと1900年に起きた北清事変を収めた北京議定書に駐留の根拠があります。当初は小さないさかいという認識が大半だったのが結果的に長期間続く戦争のきっかけになってしまいました。1945年の日本の降伏まで続いたこの大陸での戦争を日本は「日中戦争」、中国は「抗日戦争」と呼んでいます 当時、日本軍が戦った相手は中国の正統政権とされた国民党による国民政府で、トップは蒋介石でした。国号は「中華民国」。戦後、国民党と共産党とが内戦に陥って共産党が勝利し、1949年に中華人民共和国を建国します。蒋介石らは台湾に逃れました。 1941年の日米開戦後、米英ソなどによる連合国共同宣言に蒋介石が署名しました。これが中国を先の大戦における戦勝国とする有力な根拠となっています。 では、戦中の共産党の位置づけはどうだったのでしょうか。蒋介石とはむしろ敵対関係が続いていたところに発生した日中戦争で、国民政府主導による「抗日民族統一戦線」が構築されました。紅軍と呼ばれていた共産党軍のうち華北の部隊は八路軍、華中は新四軍と改められて国民政府軍に編入され日本と戦いました。
毛沢東は祝ってこなかった
要するに「抗日戦争」における共産党の役割はせいぜい脇役で、主役はあくまでも蒋介石の国民政府軍でした。しかし毛沢東をリーダーとする中華人民共和国が建国されてから「抗日戦争の主役は共産党だった」と位置づけています。盧溝橋事件以来、一貫して抗日のスタンスを鮮明にしていたのは確かとしても共産党が「主役」は明らかに言い過ぎです。 建国の父である毛沢東もそれはよく分かっていたようです。対日戦争勝利記念日は日本がポツダム宣言を受諾したと昭和天皇がラジオで国民に告げた8月15日か、降伏文書に調印した9月2日ないし3日とする諸国が多いなか、毛沢東は一貫して何らの祝賀行事もしていません。自身が命がけで戦った対日戦争の実態がどうであったのか身にしみて知っていたからでしょう。 毛沢東にとって生涯の敵と呼べるのは蒋介石です。それは蒋介石側も同じはずです。「抗日民族統一戦線」を結んでいても「一丸になって」と表現するにはほど遠い関係で、蒋介石は開戦後も対日戦争より共産党駆逐を狙っていたふしさえあり、米英からも大丈夫かと疑われていました。したがって毛沢東にとっての「戦勝」は蒋介石を追いやって中華人民共和国を成立させた10月1日だったでしょう。変に対日勝利をうたい上げたら、結局は宿敵の蒋介石を賛美せざるを得ないし、それだけは嫌だったのだと思われます。