「日本一高い津波が来る町」で生きる…起死回生の一手とは?
今回のテーマは、「“あの町”の逆転作戦!」。町のイメージを覆し、未来につなげるために奔走する人々の姿を追う。 栃木・那須塩原市。1990年代には「首都機能移転」の候補地として大きく取り上げられたが、実現はしなかった。「何もしなければ間違いなく衰退するギリギリのところ」と嘆く市長は職員を民間企業に送り、新しい那須塩原の姿を描こうと動き出す。 一方、南海トラフ地震が発生すれば、34メートルを超える大津波が予測される高知・黒潮町。防災を掲げた町づくりに挑む中、ユニークな手法で町の将来を模索する試みが始まっていた。 【動画】「日本一高い津波が来る町」で生きていく “防災の町”の新たな挑戦
観光地にも悩みが…“最後の工場”に望みをかける!
日本有数の温泉地帯、栃木・那須塩原市は、多様な自然やアウトレットモールがあり、年間751万人が訪れる関東屈指の観光地。東京から新幹線を使えば70分という立地が評価され、かつては国会などを移転する「首都機能移転構想」の最有力候補地に選ばれたこともある。 しかし2003年、「費用がかかりすぎる」などの理由で10年以上に及ぶ壮大な構想は頓挫。広大な土地は、いまだ手付かずのままだ。そんなネガティブなレッテルを変えたいと町の復活を託されたのが、那須塩原市職員・伊東勇太さん(40)。伊東さんは結婚式場「八芳園」(東京・港区)に出向し、「八芳園」が運営する「MuSuBu(ムスブ)」で接客をしていた。
「MuSuBu」はさまざまな市町村の魅力を発信するセレクトショップ。伊東さんはここで、町を活性化させるためのヒントをつかもうとしていた。
「八芳園」の披露宴で人気の趣向が、新郎新婦の故郷の食材を使った料理を振る舞うというもの。食材の調達を通じて地方との交流が増え、自治体のPRを手がけるように。那須塩原とも縁があり、「八芳園」が伊東さんの9カ月間の研修を受け入れた。 伊東さんは生まれも育ちも那須塩原。大学卒業後は市の職員になり、地元のために働いてきたが、今は妻と2人の子どもと離れて暮らしている。「子どもの世代になったときに町の良さが維持できているか。このままでは廃れてしまう文化や良さがある」と、伊東さんは地元への思いを話す。