『光る君へ』道長の<二人の妻>倫子と明子。倫子より天皇に近くとも露骨に差がつけられた明子だが、子孫には日本文化に多大な貢献をしたあの人物が…
◆代数でいえば明子の方が天皇に近いのに… なお源倫子の父の雅信は宇多天皇の孫で、彼女は<天皇のひ孫>(宇多源氏)です。 一方、源明子は宇多の子の醍醐天皇の皇子の子で、<天皇の孫>(醍醐源氏)です。 つまり代数でいえば明子の方が天皇に近い、ということになる。確かドラマの中でも、そうした背景を明子が道長に話すシーンがありました。なのに、現実をみれば明子の方が扱いは悪いのです。 実は同じ源氏でも、宇多源氏と醍醐源氏ではずいぶん性格が違います。 まず宇多源氏(倫子系)は、醍醐天皇の同母弟である敦実親王以外には繁栄した系統はほとんどありませんでした。 倫子の父・雅信は敦実親王の長男。雅信と弟の重信は左大臣に上り、一時は雅信左大臣・重信右大臣になります。 ただし、この時期は彼らより年下でやり手の藤原道隆から道長に政権が移る頃で、彼らはその下で「うまく立ち回った」という感じだったのでしょう。 一方、醍醐源氏(明子系)は少し性格が違います。 醍醐天皇には男女合わせて40人近くの子がいて、下の方の子供は、天皇の子供でも“源”をもらうようになっていました。そして、明子の父の源高明と、異母弟の兼明はその代表格です。 彼らの兄の親王たちにも、文化人や有職故実(貴族の儀式作法)に通じた優秀な人たちが多い中、この二人は貴族として頭角を表し、異母兄の村上天皇を支えていきます。 それとともに、高明は藤原師輔(兼家の父、道隆・道長の祖父)の娘の愛宮(あいみや)の婿になり、準・摂関家的な扱いを受けるとともに、村上天皇の皇子で英明の高い為平親王を婿取りました。
◆追い落とされた明子の父・源高明 ところが、こうした扱いが師輔の次世代らから警戒される事態を招きます。つまり、このままでは藤原氏のリーダーの地位まで源高明らに奪われるのでは、という危機感を持ったようなのです。 その後、安和二年(969)に、冷泉天皇廃位と為平親王擁立を企む謀反の密告事件「安和の変」が起こると、高明もそれに連座する形で大宰権帥(九州地域総官、ただし名誉職)に左遷されてしまいました。 藤原師輔亡き後、宮廷で最も儀礼に詳しい(つまり政治をスムーズに行える)のは、師輔から摂関家の故実を学び、異母兄たちから皇族の故実を学んだ高明でした。 ですので、「まともにいったら勝てないので裏技で」追い落とされたのです。そして師輔の娘で、明子の母・愛宮はその巻き添えで出家した…と言いますから、この事件、じつは藤原摂関家である師輔の子供達の内紛でもあるわけです。 明子は、藤原伊尹・兼通・兼家ら師輔の子供達にとっては姪、道隆や道長からは従姉妹に当たる、摂関家色の濃厚な源氏でした。さらに愛宮の母は、元伊勢斎王だった雅子内親王。 つまり明子は母方でみても、醍醐天皇のひ孫という、極めて高い血筋ということになります。 明子は、高明失脚の後は同母弟の盛明親王、さらには兼家の娘(つまり道隆や道長の姉妹)東三条院詮子(一条天皇の母。『光る君へ』では吉田羊さんが演じた)のもとにいたようです。 これほど高貴な血筋を外部に流出させるわけにはいかず、摂関家中に留めておかなければならない、という判断だったのでしょう。いわば「籠の鳥」になったわけです。
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