田中角栄「なあ、ミッチャン。石破の倅を面倒みてくれんかね」渡辺よしみが振り返る石破秘話「私の親父の話に大変感銘を受けたようだった…」
石破首相は、私の親父の話に大変感銘を受けたようだった
――石破首相の著書にも、銀行員から立候補する際の経緯が記されています。田中角栄元首相と渡辺副総理には特別な思いがあると強く感じるもので、首相の原点はその時にあるのですね。 (渡辺氏) まだ20代の石破首相にしてみれば、親の代から馴染んできた田中派から「離れ養子」か「里子」に出されるようなもので、寂しい思いもあったのではないか。私が鳥取担当となり、島田後援会を石破後援会に「衣替え」する作業をやった。島田氏のご子息が選挙に出ないよう説得する役回りは非常に切ないものがあった。 渡辺派として「まごころ」を持って徹底支援した。ちなみに「ミッチー語録」のまごころとは、「ああ、この人だったらある程度までお任せで良いか」という信頼関係のことだ。まごころが通いあっていれば、コミュニケーションはとっても容易になるし、逆の場合は、いくら美辞麗句を並べてみても相手は理解してくれない、となる。 昭和60年(1985年)8月の温知会研修会に参加した石破首相は、私の親父の話に大変感銘を受けたようだった。新人の候補予定者向けの講演だったかも知れないが、「君たちは何のために政治家を目指すのか。カネ儲けがしたいのか、名誉が欲しいのか、女にモテたいのか?」と。そして、「そういう者は今すぐこの場を去れ。政治家になって実現したい志があるだろう。その原点を忘れるな。迷った時には原点を振り返れ。『政治家の仕事は勇気とまごころを持って真実を語ること』だ。志を実現する道は近くにある」というような話だったと記憶している。 後日、石破首相から「テープが欲しい」と言われ、ダビングして渡した。地元回りの移動中、車中でテープが擦り切れるほど聞いたそうだ。ちなみに、昭和61年(1986年)の総選挙(衆参ダブル選挙)は、島田氏のご子息が無所属で出馬したものの、石破首相は最下位ながら初当選を飾った。
渡辺喜美
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