アンチ巨人を生んだ江川事件後に導入された逆指名やFA制度、結局「巨人一強」「セ・リーグ主導」を補強することに
■ 「逆指名」で骨抜きにされたドラフト制度 しかし1991年からは「ドラフト外」での選手の獲得が認められなくなった。囲い込みができなくなったのだ。 一方で1992年からは巨人の主導で「逆指名制度」が導入された。これは大学、社会人野球の選手限定で、1球団につき2名までの対象選手が、自分の希望するチームを宣言することができるというものだが、実質的には事前にアプローチした球団スカウトが、選手を説得して希望チームを表明させたのだ。 これまで触れてきたように、日本のドラフトは「戦力均衡」という目的は意識されてはいなかったが、「逆指名」によって本来のドラフト制度のコンセプトは完全に骨抜きにされた。 後年の報道で、選手に「逆指名」をさせるために巨額の裏金が動いていたことも明らかになっている。そして「逆指名制度」は、その後も「自由獲得枠制度」「希望入団枠制度」と名前を変えて存続された。 巨人をはじめとする日本の球団は選手獲得を巡って「絶えずルールの抜け穴を探ろう」「自分たちだけが得をしよう」と考えていた。本来、スポーツとは明確なルールの下、公正に行われるべきだが、少なくともプロ野球の経営者はそうしたスポーツマンシップの精神は持ち合わせていなかったと言える。
■ 選手の権利確保の観点で始まったメジャーのFA制度 一方、海の向こうのMLBでは、1976年に「フリーエージェント(FA)制度」が導入されることになった。 これは前年、モントリオール・エクスポズのデーブ・マクナリーとロサンゼルス・ドジャースのアンディ・メッサースミスという2人の投手が、球団の契約条件を不服として、契約を結ばないままプレーをし、そのオフに「球団側に自身を拘束する権利はなく、他球団との契約交渉は自由にできる」と主張したのが始まりだ。 MLBが委嘱した第三者調停委員会は2人の主張を認め、2人は「フリーエージェント」であるとした。これを連邦地裁も支持したことでMLBのFA制度の導入が決まった。 MLBでは永年、選手は球団の厳しい支配下に置かれ、クビになるかトレードされない限りは自由に球団を移ることはできなかった。 また1965年に導入されたドラフト制度も、アマチュア選手が自由に球団を選択する権利を奪うものだった。これに対し「反トラスト法(日本の独占禁止法に相当)」に抵触すると訴訟が起こされたが、MLBがチームの入れ替えがないクローズドリーグであり「戦力均衡」が必要との観点から、裁判所がこれを却下した。 FA制度の導入は、これまでの圧倒的に球団が有利な契約制度に対する選手側からの異議申し立てだった。そして、ドラフト制度などで入団した選手が一定年限プレーすれば「移籍の自由が与えられる」という意味で「ドラフト制度の補完」という側面を持っていた。