「終わりのないスキャンダル」を考え直すべき時…雰囲気で押し切って行為に及んだことのない男などいるのか
週刊誌では度々芸能人や政治家の「異性とのトラブル」が報じられる。記憶に新しいのはお笑い芸人・松本人志氏と国民民主党代表・玉木雄一郎氏を巡る問題だ。こういった話題はネットでは多く閲覧され、メディアに収益を生む。多くの潜在的読者がいるからだ。とはいえ、不倫スクープに辟易している人もいるだろう。三浦瑠麗氏が2回に渡り、この状況から「前に進む」方法を語る。短期集中連載「異性トラブルの本質」第1回のテーマは松本人志。「相手を断りにくくさせる、しつこい重ねての要求、明白な同意を得ずにその場の雰囲気で押し切って行為に及ぶなどの行動を一度もとったことのない男性というのは、果たしてどれだけいるのでしょうか」。松本人志の復帰はあり得るのかーー。
事実上の和解が成った意味
松本人志さんが訴えを起こし、文藝春秋社ほか一名を相手取った裁判が、事実上の和解であるところの合意に基づく取り下げで終結を迎えました。だいぶ時間がかかりましたが、双方合意の下に終わって良かったと思います。 週刊文春に報道された問題はかなり前に起きたとされる事案で、不同意性交等罪というカテゴリーが日本に導入される以前のこと。記事内容も女性の不本意さについて述べてはいますが、性加害とは断定せず慎重な書きぶりを残しており、刑事的な意味合いを持ちうる告発ではないということは文春が認めている通りです。 私人間の揉め事は、まずは弁護士などの代理人を立て話し合い、それでも平行線であれば法的な手続きを通じて双方の主張を述べ、最終的には合意に落ち着くというのが解決の筋道。解決しなかったものが、判決に進みます。 裁判というプロセスに入ってしまった以上、物証がなければ最終的には告発女性の証言をどう解釈するかにかかってくる。その解釈をめぐって、弁護団が様々な状況証拠を元に女性の証言の信ぴょう性を争えば、必ずや「被害女性を貶めた」という非難が降ってくることになります。それは松本さんの復帰にとってはマイナスのイメージとなります。告発した女性にとっても、それ以後にとった一連の行動の意図が何であったかを一つ一つ確認されるのは苦痛でしょう。 裁判は争い事を解決する場であって、もともと真実を明らかにするための場ではありません。文春にとっても判決で勝っても特段何か得ることがあるわけではなし、裁判が長引くことは双方に得にはならない。 合意の上、訴訟が取り下げられた背景には最低限の歩み寄りがあり、両者の間では問題が幕引きされたとみるべきです。双方のコメントのニュアンスにはアグリー・トゥー・ディスアグリー=「合意しなかったことに合意する」という部分が窺えますが、それはそれとして、このままいっても両者は平行線をたどるだけ。「強制性」を示す物的証拠がないことを文藝春秋側が改めて認めたので、松本さん自身も了としたと考えられます。 松本さん側からは、飲み会に参加した女性全般に対して、もし不快な思いをした方がいたら申し訳ないという謝罪が発表されました。文藝春秋社はそれを受けて告発女性の了承の下、訴訟の取り下げに同意したとしており、当該女性は朝日新聞のインタビューに応じて、不十分な内容ではあるがこれで先へ進めるとコメントしています。