二刀流日本人メジャーリーガーの現実味
当時の同世代では、イチロー(当時マリナーズ)が2004年に抜くまでの大リーグのシーズン最多安打記録(257安打)を保持者として日本でも知名度のあるジョージ・シスラー(カージナルズ)。新人の15年に4勝を挙げるなど計24試合に登板している。時代が進んで1940年代は、後に通算3630安打475本塁打のスタン・ミュージアル(カージナルズ)が二刀流でマイナーの経歴をスタートさせたが、20歳の時に左肩負傷で投手業を断念した。 最近では今年引退したリック・アンキール(カージナルズなど)が凄い。1999年のデビューから5年間は投手で51試合(41先発)に登板して13勝10敗。二刀流のピークは新人王投票で次点になった2000年。シーズン初戦の中継ぎ登板以外、1度もローテーションを飛ばすことなく30試合に先発して11勝を挙げた。打っては、68打数17安打の打率.250。2本塁打だった。とはいえ、ナ・リーグなので「九番・投手」での打席。登板間に代打起用が3度、代走起用が1度ある。登板日以外に野手として出場したルースや大谷とは違う。アンキールは後に制球難に見舞われ、マイナー降格、トミー・ジョン(靭帯再建)手術後、2005年に野手専任を宣言。2008年には109安打25本塁打するなど、打者としての通算成績は462安打76本塁打、生涯打率は.240だった。ルース、シスラー、ミュージアルの3人は、いずれも殿堂入りの超一流。二刀流を試みる選手は非凡な才能の持ち主だったのだ。上述の4人はいずれも左投左打で、二刀流から野手に専念した共通点がある。 一方、2013年に引退したロン・メイヘイ(レンジャースなど)は逆パターンだ。この選手も左投左打。野手としてドラフトされ、1995年に外野手でデビューしたが、1997年から投手に。 主に左のワンポイントとして通算514試合に登板。マリナーズ時代のイチローやヤンキース松井秀喜と対戦した。当時のレンジャーズを指揮したショーウォルター監督は「その頃はもう野手に未練はなかったようで、二刀流の話にはならなかったね」と振り返る。