【大学野球】大胆なシフトで明大・宗山塁を抑え込んだ早大 天皇杯奪取の陰にデータ班の存在
「宗山を丸裸にしろ!!」
東京六大学リーグ戦は、14年ぶりに優勝決定戦(11月12日)が行われ、早大が明大を4対0で下し、2季連続48度目のリーグ制覇。9年ぶりの春秋連覇で、熱戦が幕を閉じた。 【選手データ】宗山塁 プロフィール・寸評 天皇杯を奪取した勝因の一つは、スタッフとして尽力するデータ班の存在を欠かすことはできない。早大がリーグ優勝を目指す過程で、小宮山悟監督が常々語っていたのは「打倒・明治」である。鬼門だった。コロナ渦を経て勝ち点制が復活した2022年春以降、明大から4季連続で勝ち点を落としていた。2勝8敗。この4シーズンで不動の三番・遊撃の宗山塁(4年・広陵高)に打率.564(39打数22安打)、3本塁打16打点と打ち込まれていた。 かつて、明大・田中武宏監督は早大・小宮山悟監督とのやり取りで「試合前、あいさつした際に『宗山の顔を見たくない(苦笑)。当たったらヒットですから』と……」と明かしたことがある。偽りのない本音だと思われる。 早大にとって「打倒・明治」とは事実上の「宗山封じ」を意味していた。今年2月、小宮山監督はスタッフのデータ班チーフである北村広輝(4年・早実)を呼び出した。 「宗山を丸裸にしろ!!」 一般的な選手だと10打席もあれば、傾向と対策を練ることができるが、宗山は例外だった。 昨春と昨秋の打席内容を細部まで洗い出した。徹底的に研究し、資料はA4用紙で20ページに及んだ。『明治大学 宗山塁 分析』が配布され、チーム内で共有された。効果はてきめんだった。今春は3試合で12打数1安打1打点に抑えた。チームは2勝1敗で、19年秋以来の勝ち点を奪取。「天敵」を打倒したことで、7季ぶりのリーグ制覇に大きく前進した。
ヒット性の打球がアウト
だが、宗山は今春、本調子には程遠かった。2月末のオープン戦で死球を受け、右肩甲骨骨折。全治3カ月ながら、驚異的な回復力で開幕に間に合わせたものの、実戦機会が不足しており、本来の打撃ではなかった。百戦錬磨の小宮山監督は「どこかを痛めると、バランスが崩れるのが常。参考にはならない」と警戒度が変わることはなかった。 万全のコンディションで戻ってきた今秋こそ、データ班の真価が問われた。宗山が打席に立つと、内野手が大きく守備位置を変えた。遊撃手の山縣秀(4年・早大学院)は二塁ベース後方に、二塁手の梅村大和(4年・早実)も一、二塁間を詰めていた。つまり、三遊間はガラガラ。この大胆なシフトに、北村スタッフも「そこまで、やるんだ!!」と驚いた。 「宗山選手は、どちらかと言うと広角打者です。引っ張り傾向でもありませんでした。ただ、インコースに投げさせ、そこに打たせることを徹底していました」。通常ならば、センターへ抜ける打球、二遊間のセカンドボールも山縣が難なく処理。また、一、二塁間の強いゴロで、通常であれば右前打の当たりも、フットワークが良い梅村が軽快にさばいた。 宗山からすれば、ヒット性の打球がアウトという、何とも言い難い状況となった。バットからは快音が消えた。3試合で13打数3安打1打点と、他の4カードとは別人だった。 「打席に立ったときに(ポジショニングが)見えるので、気にはなりましたが、自分のスタイルは変えずにいきました。とらえることができれば、ヒットになる。打つべき球を打つ。誘い球に乗らない。ストライクからボールになる球をどう見極めるかです」。宗山は早大3回戦後にこう語っていた。明大・田中監督は「シフトを敷けるだけの制球力が、早稲田さんの投手陣にはある」と脱帽していた。