一体なんで!? Jリーグ、あまりに衝撃的な解任だった監督6人。誰もが予想外!? いきなりクラブを離れた男たち
ランコ・ポポヴィッチ
鹿島アントラーズ(2024シーズン) 鹿島アントラーズを率いたランコ・ポポヴィッチ監督の電撃解任は記憶に新しい。 昨季リーグ5位フィニッシュとなった鹿島は、岩政大樹監督が退任。クラブは新監督に、過去にJリーグを含む世界各国のクラブで指揮をとってきた経歴をもつポポヴィッチを選んだ。 経験豊富なポポヴィッチは、早速その手腕の高さを見せる。川崎フロンターレから獲得したFW知念慶を中盤にコンバートし、これが大ハマり。チームは5月からは首位争いを展開し、最終的に優勝射程圏内のリーグ4位でシーズンを折り返した。 しかし、それがポポヴィッチ政権のピークだった。夏場以降は勝ち点を落とす試合が多くなり、8月末から9月末には公式戦5試合未勝利と低迷。鹿島のパフォーマンスは本来あるべき「常勝軍団」からは徐々に遠のいていった。 これを受けて、クラブは10月6日付でポポヴィッチの監督解任を発表。同じタイミングで、コーチのミラン・ミリッチの契約解除、フットボールダイレクターの吉岡宗重の退任も発表された。 ただ、鹿島はポポヴィッチ解任発表の前日に行われた第33節アルビレックス新潟戦(4-0)で大勝を収め、その順位はリーグ4位。リーグ戦は残り6試合という状況だった。 そのため、このタイミングでの電撃解任には、鹿島サポーターのみならず、Jリーグファン全体に大きな衝撃が走る結果となった。
足立勇輔
横浜FC(2005~2006シーズン) 足立勇輔の横浜FC監督解任はJリーグファンの間で大きな話題になった。 横浜FCは、2004シーズンにチーム最高成績(当時)となるJ2リーグ8位フィニッシュを達成。これを置き土産にして、チームを高みに導いたピエール・リトバルスキー監督は退任した。 その後任として、白羽の矢が立てられたのが足立だ。2005年に監督に就任した。 前年とは対照的に、足立に率いられた横浜FCは勝てない試合が続く。リーグ開幕からチームは低迷し、第6節から15試合未勝利という苦しい状況に。三浦知良ら大物を獲得して巻き返しを図ったものの、最終的にリーグ12チーム中11位で2005シーズンを終えた。 厳しい結果となったが、クラブは足立を続投。迎えた2006シーズンに衝撃的な出来事が起こる。 それは、前代未聞のわずか1試合での電撃解任だ。リーグ開幕戦の愛媛FC戦で0-1の敗戦を喫したことで足立は監督解任を言い渡された。 その後、後任監督には高木琢也が就任。チームは序盤の躓きが嘘だったかのように好調を維持し、最終的にJ2優勝を果たした。あまりにも早い決断が大きな成功を収めた好例である。