黒装束は必要なし、女性の運転も解禁、女性記者が見たサウジアラビア社会の変貌
紆余曲折の末に辿り着いたジェッダの町
そのうえで、成田空港から6日夜のアジスアベバ経由のエチオピア航空に乗ったが、最初の寄港地であるソウルで機材トラブルが発生。4時間も待たされた挙句、キャンセルになってしまった。 その間も情報がなく、仁川空港のロビーでひたすら待たされるだけ。かなり心労がたたったが、そのまま黙っていると1日遅れの便に自動的に振り替えられてしまう。そこで再びトラブルが発生したらどうにもならない…。そう考えて、何とか早い便に振り替えてもらうように粘り強く打診したしたところ、マレーシア経由で半日早く到着できることになった。 やはり英語の交渉力は必須。下手でもいいから主張しなければ、何も物事が進まない。そのことは肝に銘じるべきだろう。 こうした紆余曲折を経て、何とかジェッダ入りしたわけだが、アバヤを着ている外国人女性は皆無に近かった。もちろん現地女性は長年の習慣を簡単にはやめないから、以前のままなのだが、カラフルなアバヤを身にまとうオシャレな人もいて、真っ黒で重苦しい以前のムードは感じられなかった。 サウジでは2018年6月から女性の運転が認められたのも特筆すべき点だ。それまでは女性の免許証発行が認められない唯一の国だったのだ。思い返してみると、過去の2回の遠征時はタクシー運転手が全て男性だと記憶している。 けれども今回、ウーバーを呼ぶと、流ちょうな英語を操るな若い女性がやってきて、ホテルから練習・試合会場のキング・アブドゥラー・スポーツ・シティまで約1時間を笑顔で送り届けてくれた。日本人にはごく普通の出来事だが、サウジでは自由化の象徴的な一幕と言っていい。 10日の試合日もスタジアムには大勢の女性や子供も観戦していたし、和やかな雰囲気も感じられた。かつては「サッカー場は男性のみの戦いの場」という位置づけで、威圧感が凄まじかったが、徐々に変化しているのだろう。そのムードも日本が鬼門突破できた1つの要因になったのかもしれない。 後編では、サウジアラビアのショッピングセンターやビーチを訪れた様子を紹介していく。 取材・文/元川悦子 長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U?22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。
@DIME編集部