英語の宿題はタブレットを使う時代? 2児の母・青木裕子が「ネットの使い方」について考える
息子の英語の宿題の仕方に疑問......
そうそう、ネットの使い方に関して最近悩んでしまったことをもう一つ。長男が英語のスピーチを作るという宿題に取り組んでいた時のこと。どうもずっと彼がタブレットとにらめっこしていたのだ。スピーチを“書く”宿題なのになぜタブレット? と思ってよく見てみると、どうやらタブレットを使って検索をしているらしい。しかも日本語文章の英訳を(笑)「それでいいの?」と聞くと「単語を調べるのはタブレットでいいと言われた」とのこと。 なるほど。でもどう見ても彼がやっているのは文章の翻訳。単語を調べるとは違う気がするのだけど、まあ手元にタブレットがあったらそれやるよねえ。それは英語の勉強になっているのかなあ。 そもそも私は、単語を調べるのにも辞書を使いたいという古い人間なので、考え方が凝り固まっているのかもしれない。(辞書で単語を引いて、調べた単語にマーカーをして、また同じ単語を調べてしまったときの悔しさとか、テストで単語を見た時の「あ、あれの斜め上にあった気がする」という閃きとかもろもろ含めて辞書が好きなのです) でもね、古くて口うるさいついでに言うと、読み方もよくわからないような単語や使ったことのない文法を駆使するよりも、自分が知っている範囲でどうやったら表現できるか考える方がいいのでは? 母は、英作文ってそんなもんだと思ってやってきたよ。だからつまり、英語の勉強って半分くらい国語力だと思ってやっていたんだけど。と、一応私の考えを伝えてみた。んー、でもイマドキは違うのかもしれない。口出しする前に最近の英語教育を知る必要があるかもしれない。ということで誰か正解を教えてください(笑)。
時代の変化と実態に無自覚ではいたくない
閑話休題。とにかく、私たちは今までなかった便利さを手に入れたことで、今までになかった悩ましさも共に手に入れてしまったのだなあと最近立て続けに感じたわけだ。そして、それ自体が良いとか悪いとかではなくて、そのことに対して、無自覚ではいけないなあと、漠然とだけど思っている。それをメディアリテラシーと呼ぶのかどうかわからないけれど、立ち止まって考えたからって時代の波に乗り遅れることはないと思うのだ。 頑張ってピラティスに通っているという話から随分大きな話になってしまったけれど、何はともあれ今年も終わる。2024年は私にとっては『3歳からの子育て歳時記』出版という大きな出来事があって、それをきっかけに多くの人に出会ったり、教育について考えを深めたりすることができた。どれだけ考えても正しい教育なんてものには巡り合えなかったけれど、これからも変わらず悩み考え続けていこうと思います。そして、この連載で引き続き綴らせてもらいます。 私のピラティスの成果が年内に出るのかどうか(引き締まった体が作られるのかどうか!)わかりませんが、みなさんが良い年を迎えられますように。 それではまた、来年お会いいたしましょう。今年も一年ありがとうございました!
青木 裕子