「明日が来ないでほしい…」と深夜が苦しいのなら知ってほしい、疲れた都会の夕暮れ時の公園がくれる癒しを
それでも変わらない景色
誰かが、「人生に孤独はマストです」と言っていた。谷川俊太郎だったと思う。ならばもう一つ、人生には悩みもまたマストだ。いや、マストだと考えておいたほうが先に進める。それがたとえムーンウォークだとしても、僕たちは先に進んでいくしかない。 昔、この公園で休憩をしていたとき、威勢のいい声が聞こえ、顔を上げると、某有名カメラマンが某有名作家を写真撮影している真っ最中だったことがある。 ふたりの周りにはスタッフが大勢いた。某作家は公園の生垣に横たわってポーズを決めてみせる。「いいねえ、セクシー!」、「お~、もっといいねえ!」某カメラマンの合いの手が止まらない。 歩きながらどんどんポーズを変えていく某作家と、野生動物でも撮影するかのごとく、一瞬も逃すまいと食い下がる某カメラマン。 絡まり合うように撮影しながら、ふたりはどんどん僕の座っているベンチのほうに近づいてきた。僕はコンビニ弁当を持って、ベンチから立ち上がり、抜き足差し足、移動しようとした。すると某カメラマンが、「君!そのまま入っちゃおう!いいねえ~」といい加減な檄を飛ばす。 コンビニ弁当を持ったまま立ち尽くす僕と、そんな僕に絡みつくようにしてポーズを決めまくる某作家。「いいよ。よし!よし、もう一枚!よし!」とシャッター音は止まらない。 結局そのまま、撮影隊は僕を置き去りにして、公園を出て行った。あとから会社の人に聞いたところ、近くに有名な写真スタジオがあることがわかった。撮影隊のスタッフのひとりが、「写真を後ほどお送りしますので、ご住所いいですか?」と親切に聞いてくれて、用紙に住所、氏名、年齢、電話番号まで書いたが、写真は結局一枚も送られてこなかった。 六本木西公園のベンチに座りながら、あの頃のことをしばし思い出していた。気づくと次の打ち合わせの時間が迫っている。僕が荷物をまとめ、ベンチから立とうとしたとき、すぐ近くの草花に水をやっているおばあさんがいることに気づく。 まさか、と思うまでもなく、あのときのおばあさんだ。向こうが覚えているわけもないので、気安く話しかけることはできない。おばあさんは少し左足が不自由そうだったが、あの頃とまったく変わらぬ様子で、慣れた感じで水をやっている。 夕闇の公園にどこかの店から、焼き魚のいい匂いが微かに漂ってきた。バーやレストランに、ぽつぽつと明かりが灯り始め、夜を待ちわびていた人々が、街にすこしずつ増えていく時間。ビルに映り込んだ夕日が美しい。 あのときの某カメラマンは、現在ガンを患っているとネットニュースに出ていた。ポーズを決めていた某作家は、数年前にこの世を去った。公園を出る手前でもう一度、おばあさんのほうを振り返ると、僕の座っていたベンチに座り、一服している最中だった。夕暮れは都会のほうが美しいと思う。すこし疲れた都会が好きだ。劇的に変わっていく街で、それでも変わらない景色を眺めているのが好きだ。
---------- 燃え殻(もえがら) 1973年、神奈川県横浜市生まれ。小説家、エッセイスト。2017年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説デビュー。著書に『これはただの夏』『愛と忘却の日々』などがある。 ----------
燃え殻
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