「あぁ、この子は本気なんだ」“キティ屋さん”になりたかった平野美宇の夢がオリンピックに変わった日…母・真理子さんが感じた「娘の覚悟」
2016年リオ五輪でのリザーブの悔しさをバネに、21年東京五輪では団体戦代表として銀メダルを獲得。24年パリ五輪ではついに悲願のシングルス代表の座を射止めた。平野美宇が着実にステップアップしてきた背景には、両親のサポートがある。トップアスリートの美宇を長女に、個性の違う三姉妹を育ててきた母であり、平野卓球センター監督の平野真理子さんの子育てについて聞いた。《NumberWeb親子論インタビュー/全2回の初回》 【貴重写真】美宇ちゃん(当時8歳)がママとニコニコ会場入りで可愛すぎる!天才少女と言われ続けた幼少期のプレー写真に、「平野三姉妹&両親」の現在の家族写真にほっこり。平野家の絆を貴重写真で見る。 ◆◆◆ ――平野家は長女の美宇さんがトップアスリート、次女の世和さんが栄養学を学ぶ大学4年生、三女の亜子さんは発達障害という特徴もありますが大学で英語を学びながら卓球に打ち込む2年生です。個性あふれる三姉妹をどんなふうに育ててきたのでしょう? 夫とは子どもが出来る前から「親と子は別人格。親の願望を押し付けることなく子育てをしたいね」と話していました。我が子が「これをやりたい」「これになりたい」と望んだら全力でサポートしようと。あくまで親は子のサポート役で前に立って引っ張るのではなく、後ろに回って背中を押す役目でありたいと思っていました。 ――我が子のこととなるとつい先回りしたくなるのが親の性とも言えますが。 愛情が深いがゆえに気付くとぐいぐい引っ張ってることって、ありますよね。良かれと思ってやり過ぎてしまうというか。私の実母がまさにそうで、愛情が深いがゆえに子どもの教育に厳しい人でした。だから私も美宇が子どもの頃は気をつけていました。ちなみに私と夫では、私の方が危険人物なので(笑)。夫は「もうちょっと積極的に関わってよ」と言いたくなるような人ですが、逆に私はちょっと走りすぎかなと反省することも多く、夫婦二人でバランスを取りながら歩んできた気がします。
「キティ屋さん」だった夢がオリンピックに変わった日
――美宇さんとの卓球二人三脚が始まったきっかけは? 美宇がラケットを握ったのは3歳5カ月の時で、私のやっている卓球スクールに「ママ、入れて~」と泣いてせがんできたのがきっかけでした。ママと一緒にいたいからという単純な理由だろうと思います。当時の美宇は将来の夢を聞かれて「キティ屋さんになりたい」なんて言う、大人しくて穏やかなごく普通の女の子でしたが、卓球となるとなぜか目の色が変わりました。そして試合に出るようになると、もともと持っている負けず嫌いが大爆発し「強くなりたい。負けたくない。もっと練習やらせて!」と泣きじゃくるようになりました。私は娘をどう卓球と向き合わせれば良いものかと悩みました。 ――そんな美宇さんの夢がいつしかオリンピックに変わった。 そう、小学1年生の夏、全日本選手権バンビ(小学2年生以下)の部で優勝してテレビインタビューされたんです。そこで「夢は何ですか?」と聞かれた美宇が「夢はオリンピックで金メダル」と初めて答えて、もうびっくり! 慌てて「美宇、本当のことを言っていいんだよ。夢はキティ屋さんでしょ?」と言うと、「違うよ、ママ。もう私の夢はオリンピックで金メダルなの」とはっきり言われて「あぁ、この子は本気なんだな」と感じました。そこからですよね。私自身、やるからには一生懸命頑張ってほしいという思いがあったので娘の夢を全力で応援する覚悟を決めました。
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