稲葉貴子、太陽とシスコムーンは「最後のチャンス」だった。誹謗中傷に悩んだ過去も
社会経験のおかげで裏方のノウハウが身についた
――まさにイチから始めた会社員生活。 稲葉「結局、そこで8年くらい働いていました。この経験、めちゃめちゃ活きてますよ。一つのイベントを作りあげる仕事でしたからね。 2014年にはOPDの元メンバーとライブをやろうという話になり、そのユニット『ピリカラ』も10年続いているのですが、実現したきっかけはやっぱり自分が身に着けたノウハウです」 ――ライブ会場をおさえたり、宣伝したりも自らできるわけですもんね。 稲葉「その一方で、これまで自分たちのためにスタッフがやってきてくれたことが本当の意味でわかったように思います。表に出る人、裏で支える人、それぞれの役割なので誰が凄いという話ではありませんが、それぞれが全うすることで大きなものが作りあげられる。 なんとなくでわかっていたことですけど、会社員を経験したことで心の底から感じられるようになりました」
20代とは違う、今の私たちのパフォーマンスを
――デビュー25周年を迎え、「太陽とシスコムーン」が再結成に至った経緯を教えてもらえますか? 稲葉「再結成というわけではないんですよね。実は節目の年ごとに集まっているんです。 最初のきっかけはデビュー10年目の時でした。その前年にOPDのデビュー15周年ライブをやったのですが、そのタイミングで小湊から『うちらも何かできるんじゃない?』と連絡をくれたんです」 ――それまでも太シスメンバーで集まることはあったのですか? 稲葉「いえ、ほとんど会っていませんでした。でも、みんなの中に『できるのかな?やれるならやりたいな』って共通の気持ちがあったのだと思います。 そこから節目節目でイベントをやるという流れになってきたんですよ。15周年の時はRuRuも来日して解散以来の4人集結が実現しました。20周年の時はRuRu以外の3人でバンド形式でライブをしています」 ――そして今年は5月から全国ツアーを開催。実にパワフルに活動していますよね。 稲葉「私たちも年を重ねて、いつまで活動できるのかわからなくなってきました。究極のことを言うと、明日自分がどうなるかって話になるんですよ。20代の時とはぜんぜん違う。でも、今の私たちなりのパフォーマンスがやれるなら、続けていきたい。今やれることをやりたいという気持ちです」 <取材・文/もちづき千代子 撮影/山川修一> 【もちづき千代子】 フリーライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:@kyan__tama
女子SPA!