稲葉貴子、太陽とシスコムーンは「最後のチャンス」だった。誹謗中傷に悩んだ過去も
解散後は司会に振り付け、裏方として邁進
――稲葉さんは太シスを解散した後も、ハロー!プロジェクトで様々な活動をされていましたよね。 稲葉「振り付けをやったり、レコーディングのコーラスをやったり、コンサートの司会をしたり舞台でお芝居をしたり……色々なことをやらせてもらいました。 特に司会はかなり鍛えられました。もともとあまりトークが得意な方ではなかったんです。ただ、経験を積む中でどんどんスキルアップしていくのが自分でもわかりました。ずっとグループで活動してきたせいか、一人でやっていくことに不安はありましたが、その苦手意識はもう薄れたと思います」 ――当時のハロプロファンたちにとっても、稲葉さんといえばコンサートに欠かせない名司会という印象が強かったのでは。 稲葉「本音をいうと10歳以上も若い可愛いアイドルとのステージなんて大丈夫かな? と最初は不安があったんです。でも、松浦亜弥ちゃんや後藤真希ちゃんのコンサートのゲストに出させてもらった時に、『私なんてそんなそんな……』なんてやっている方がカッコ悪いなと気付きました。 どうせ出るなら年齢やキャリアなんか気にせず、その場に来ていただいたお客さんに楽しんでもらえたらそれでいいんじゃないかって。 私を必要ないと思う人もいたかもしれませんが、そこにフォーカスするのではなく、自分の力を思いきり出しきると決めたんです。そうすることで、少しずつファンの方々が好感を持ってくれるようになったのだと思います」
一般会社に就職。社会人マナーがわからず苦労も
――ハロプロ卒業後は、事務所の関連会社に一般会社員として就職されたそうですね。 稲葉「これは会社からの提案で引き受けることにしました。仕事の内容は主にファンクラブのイベント制作です。こういう経験をしてみるのもいいかもしれないし、とりあえず一旦やってみようくらいの感覚でしたね。やったからといって、稲葉貴子が終わるわけじゃないんだし」 ――就職=引退というわけではなかったのですね。 稲葉「引退という意識はなかったです。表に出ることも、自分がやろうと思えばできるとわかっていたので。 でも、これまでずっと表に出る仕事しかしてこなかったから、社会人マナーやパソコンの使い方、メ―ルの送り方も何もわからない状態でした。パソコンも最初は指一本でキーボードを押すところから始めましたもん。『!』ってどうやって出すの?ってレベル(笑)」