語った人生論。なぜ阪神の西岡剛はトライアウトに参加したのか?
戦力外通告を受けたことを自らのインスタで明らかにしたのが、10月2日。その際、現役続行を宣言していた。2010年に首位打者と最多安打記録のタイトルを獲得。今季も開幕は1軍メンバーに入り、5月以降は、2軍生活が長かったが、9月下旬からは、再び1軍登録されて打席に立っていて、わざわざトライアウトに参加するまでもなく、その実力、実績は、他球団の編成は十分に把握している。それにも関わらず西岡は福岡の地までやってきた。 その理由を問われ、西岡は「野球を続けたいから。トライアウトという試験の場があるのならばトライしないといけない」と答えた。 そして西岡は独自の人生論を長々と語った。 「アキレス腱を切ったときもそうだし、今回、クビになったときもそう。選択肢はいっぱいあった。引退するのか、違う道に進むのか、野球を続けるのか。僕の中では、(引退か現役かの)2択だった。僕は小さいときから親父にこう言われていた。『2択があるのならば難しいものにチャレンジしろ』。そう言われて育ってきた。だから、ロッテからアメリカにいくときも、チャレンジを選んだ。あいにく僕に力がなく、(日本に)帰ってくることになったが、そのときも、いろんな球団の(オファーがあり)選択肢があった。そのときも一番、プレッシャーがあり難しいのはどこか?と考えた。それが阪神だった。今回クビになって、年齢は34歳。トライアウトでも一番年上だった。そう考えると、続けるほうが難しい選択だと思った。チャレンジ。あきらめるのは簡単」 西岡のトライアウト参加こそが、彼の生き方、そのものだったのだ。 「『アホやな』『自分のことがわかっていないな』。そう言われるかもしれない。でもチャレンジ。人生としては」 自らの現在地を知った上であえてチャレンジを選択したのである。 サイは投げた。 「もう待つことしかない。僕は身近の人たちには、『最後はロッテのユニホームを着て引退する』とずっと言っていた。本当なら、しっかりとメジャーで結果を出して、ロッテに戻れる人生が最高だったけれど、いかんせん、力がなかったわけだから。そのシナリオは格好悪いことになった。でも、今日の動きを見て、戻ってきてもらいたい、と(考えてもらえるように)心の中で願っています」 ロッテへの復帰ラブコール。熱い思いを隠さなかった。 「ロッテは僕を育ててくれたところ。日本一に2回もさせてもらってWBCも五輪にも出してもらった。その後、違うチームに行っても(ロッテのファン、関係者は)応援して下さる。そういう気持ちに甘えるんじゃなく、しっかりとトライアウトでやれる姿を見せて、取ってもらえるようにアピールした」 だが、現状は厳しい。ロッテは西岡獲得に乗り出す考えはない。