ボクシング界のゴッドマザー、帝拳ジムの長野ハルさん逝く、99歳 70年超マネジャー人生貫く
プロボクシング界屈指の歴史を誇る帝拳ジムの長野ハル・マネジャーが1日午後8時40分、老衰のため死去した。5日、帝拳ジムの本田明彦会長がホームページで発表した。99歳だった。 【写真】長野ハルさんに抱き付く辰吉丈一郎 1948年(昭23)に帝拳株式会社に入社し、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された52年にマネジャーライセンスを取得するなど、75年以上にわたり名門ジムの屋台骨を支え、大場政夫、浜田剛史、西岡利晃、山中慎介、粟生隆寛、村田諒太らの多数の世界王者をはじめ、多くのボクサーから母親のように慕われていた。 なお故人の遺志により葬儀は近親者のみで家族葬にて執り行い、弔問、香典、供花についても故人の遺志より辞退する。 長野さんは年齢的なこともあり、2年ほど前から少しずつジムの仕事を減らしていた。昨年もジムや試合会場で元気な笑顔を見せていたが、夏に足を骨折して入院。その後、99歳とは思えない懸命なリハビリで現場復帰したが、11月に体調を崩してからは療養中で、ジムに姿を見せていなかった。 長野さんは実践女子専門学校(実践女子大)卒業後の48年、知人から「秘書を募集している」と聞いて、帝拳株式会社に入社した。当時、銀座7丁目に事務所があり「銀座ならいいかな」というのが就職理由で「ボクシングジムとは全然知らなかった。ボクシングは見たこともなかった」と明かしていた。 当初は先代の本田明会長の秘書をしていたが、52年にJBCが設立されると、同会長の勧めもあり、同年にマネジャーライセンスを取得した。その手腕が注目されるようになったのが、65年7月に先代の会長が64歳で亡くなった後。会長を引き継いだ当時18歳の高校生だった次男明彦氏を支え、選手のマネジメントやマッチメークなどに奔走。名門の屋台骨を支え続けた。 先代が亡くなる1カ月前に入門してきた、やせた16歳の大場政夫のセンスと気の強さに目を付けて、合宿所に住まわせ、食事や洗濯もすべて面倒を見て、ジム初の世界王者に育て上げた。選手を見る目には定評があった。一方で、その大場が5度目の防衛戦後に交通事故死するという非運にも見舞われた。 88年3月に明彦会長が世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の東京ドームでの防衛戦をプロモート。これをきっかけに多忙な世界的プロモーターに成長すると、長野さんはジムの運営など裏方に徹して会長を支え続けた。 99歳の現役のマネジャーは世界最年長で、海外の有力プロモーターらからも敬愛されていた。生涯独身を貫き、ボクシングにささげた人生だった。