創業133年の沼津の駅弁業者が、美味しい駅弁を届けるための工夫とは?
【ライター望月の駅弁膝栗毛】 「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。 【写真全10枚】桃中軒の季節弁当の調理風景
東京駅の東海道本線の発車時刻を表示する電光掲示板にも、早朝と夜に表示される「沼津」の文字。最近はさほど遠くない行先も多いだけに、「沼津」の表示が見られると、『ああ、美味しい魚を食べに行きたいなぁ』という旅ごころをくすぐられるものです。実際、週末となれば、沼津港周辺の飲食店は、多くの行楽客で大にぎわい。そんな沼津の魚を「駅弁」として届けるためのさまざまな工夫に注目いたしました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第49弾・桃中軒編(第5回/全6回)
富士山をバックに東海道本線の普通列車が終着・熱海を目指します。JRになってから、東海道本線の普通列車は熱海で乗り換えることが多くなりました。先頭に立つオレンジのカラーリングが特徴的な車両をはじめ、名古屋周辺で運行されていた車両が静岡地区で活躍することも増えています。一方、東京方面と直通する普通列車のなかには、東北本線の宇都宮行や春からは国鉄時代にもあった両毛線・前橋発の列車の運行もあります。
JRになって間もなく、東海道新幹線の各停車駅で駅弁業者ごとにさまざまな趣向を凝らした「新幹線グルメ」と称した1000円の駅弁が販売されたことがありました。三島駅の駅弁を製造している桃中軒が発売したのは「海ひこ山ひこ」(現在は販売終了)。この駅弁には、いまでは桃中軒の寿司駅弁でおなじみの“自分ですり下ろすわさび”が入っていました。今回は、株式会社桃中軒の宇野社長に、「わさび」など食材のこだわりを伺いました。
●静岡の駅弁業者として、わさびは「重要食材」!
―いまの「港あじ鮨」に受け継がれている、自分で「わさびをすりおろす」アイデアは、どのようにして生まれましたか? 宇野:昔あった「わさびづくし」という弁当から生まれたものです。3代目当主・秀吉(初代社長)のころから愛鷹(あしたか)山麓にわさび田を自社所有していた時期がありました。戦前、土産物の扱いが鉄道弘済会(のちのキヨスク)に移った際には、老舗・田丸屋の職人さんに教えを乞い、酒粕も京都から仕入れてわさび漬けを自家製に切り替えたほどです。ですので、弊社の弁当における「わさび」は、いまも重要な食材と位置付けています。 ―そのなかで、平成15(2003)年に「港あじ鮨」を開発されたのは、なぜですか? 宇野:「海ひこ山ひこ」や「桜えびめし」といった弊社の弁当は、ご飯とおかずが盛り付けられた幕の内が主流でした。しかし、当時は(ご当地らしい)1つの食材にスポットを当てた駅弁が求められるようになっていたのが開発の理由です。私自身、初めてゼロから開発に携わった最初の駅弁でした。20年以上経ったいまもお客様に受け入れてもらっているのは、酢で〆すぎず昆布で〆た鰺本来の旨味が味わえる美味しさではないかと思います。